受け入れるってどうやるんだったっけ?
私はアラフィフなのだ。
でも幼稚さ全開、恥を承知で書く。
誰かの特別でいたいという欲。
大切に思ってもらいたい。
でも当たり前だけど、誰もみんな自分が一番だからそれは叶わない。
そんな事はこれまでの人生で嫌というほど経験してきた。
みんな私を雑に扱う
みんな私を利用する
みんな私をバカにするのだ。
自分を一番にするために私を使う。
本当は親に大切にしてもらいたかった。
私を一番に考えてほしかった。
大人の今それを望むより自分で自分を大切にする方がいいと言われるし、私もそう思う。
でも本来は人に大切にしてもらう立場として生まれてきたから、どうしてもそれを欲してしまう。
私の事を誰かに大切に思ってほしくなる。
根本的には母だと思うから、この欲求は、もう一生満たされる事はないだろう。
私を大切に思ってほしいと
求めるのはダメな事だろうか。
望んだっていいのではないか。
いや、“その人” から奪うことになるかもしれない。
私を大切にしてよ
私の思い通りになってよ
私の望んだあなたでいてよ。
母が私にそうしたように私も誰かの気持ちを奪ってしまうなら嫌だ。
望めないとしたら、誰も私を大切に思ってくれないという事になる。
というか、そういう事にした方が楽なのだ。
楽というか辛くならずに済む方法がそれだ。
なぜなら被害者でいられるから。
そしてこの被害者意識が私の人生を空虚にしている。
あの人がひどい事をした
アイツがあんな事を言った
夫が夫の両親が母が…
みんなが私を大切に思ってくれないから!
そうやって恨む気持ちが膨らむ。
『いつか見返してやる』
そんな気持ちが出てくるのは自然な流れだ。つまり私の人生は人を見返すためにあった…という事になる。
空虚すぎる。
誰のために生きてきたのだろう。
どこを見ながら生きてきたのだろう。
この事に気付いてから、かなり落ち込んでいる。
迷宮の谷に落ちた感じ。
かっこよく言ってしまったが、要は行き詰まっている。
恥ずかしいし虚しい。
これも私なのだと受け入れる事が出来るといいけど、なんか出来そうにない。
だからどうだっていう落とし所がないなら、中途半端なまま受け入れるしかないのだと思う。
私はそういう生き方をしてきたのだと…
受け入れるってどうやるんだったっけ?