“大好き”と執着
こんにちは、やつ子です。
noteにコメントをいただいた。
かなりの気付きになったので
残しておきたい。
母の発達障害に向き合ってみても
やっぱり解決策はすぐには見つからなかった。
でも、昨日コメントをもらう前に
私はスマホのメモアプリに
こんな事を書いていた。
片思いなのではないか?
好きを返してもらえない切なさ
それとは真逆
大好きでいさせてくれない腹立たしさ
今回のテーマである「執着」と
少し近い気がした。
私の記事を読んで(私は書いて)
似たような感覚が降りてくるという事は
きっとこの言葉なのだろうと思った。
◎私と執着
執着とは(Google先生、出番です)
ある物・事に強くひかれ、深く思い込んで
どうしても忘れ切れないこと。
物事に固執し一つのことに心をとらわれて
そこから離れられないこと。
主に悪い意味で用いられる。
私は昔から執着心は強い方だ。
(自慢できる事ではないが…)
その証拠に今年やった断捨離では
お気に入りのコートを手放す時に
号泣したぐらいだ。
私が思う執着のイメージは、
“物へのこだわり”
“友達・恋愛の偏り”
“母親・子離れ”
この中の友達や恋愛に関しては
私はドライな気がする。
どっちかというと去る者は追わず…
そりゃフラれると悲しいけど
すがり付くほどではない。
やけ酒、カラオケ、愚痴大会、
これぐらいで済む。
友達も
なんならグループから抜けたり
こんなご時世なのをいい事に
シレッと繋がりを絶った人もいる。
ママ友とかだと
ドロドロさんに執着される方だった。
必死こいて逃げたけど。
私が執着する対象は
思いが詰まった “物”
そして “母” と “息子” だ。
◎まずは語りやすい “物” から
先に書いた号泣コートは、
ひと言で言うと思いが詰まっていた。
そもそも断捨離している時点で
物が多く捨てられない女だという事は
おわかりいただけると思う。
物に思い(自分)を込めてしまうらしい。
私が号泣したのはコートだけではなく
何年も大事に取っておいた
新聞の切り抜きを捨てた時にも泣いた。
「ありがとねぇぇ~大好きだよぉぉ~」
と言いながらの号泣だ。
我ながら引くわぁ…。
キモイしウザイし、もう何かコワイ。
どちらも私の理想が込められていた。
コートは
“本当はこんな暮らしがしたい” っていう理想。
切り抜きは
“本当はこんな人になりたい” っていう理想。
取っておく事で「いつか…」という念を
満足させていたように思う。
今を見ていなかったって事ッスな。
断捨離してからは物に対する執着はな…い…
いやある、ある、めっちゃある。
私の部屋だ。
それこそ私の大好きだけを集めた
お気に入り空間♡
少しずつ整えてコツコツ手を加えて
この夏にやっと完成した。
ここに執着はあると思う。
無くなったら号泣するなぁ。
一つ一つ置いてある物がたまらなく好きなのだ。
でもしがみつく感じかと言われたら…
どうだろうなぁ。
自分の理想と現実を
受け入れる事が出来なかった思いが
形となっていたコートや切り抜きとは
少し違う気もするけどなぁ。
だって私が
今とこれからの自分のために
用意した空間だからネ。
◎母と執着
さあいよいよ母について。
私は母の言う「大好き」が嫌いだ。(※)
※母の「大好き」に対してのみ
私の拒絶反応は起きる。
母以外の人が言う「大好き」には
どちらかというと “ニンマリ” という
反応になる。
母はとにかく
「大好き」という言葉をよく使う。
話していてもテレビを見ていても
出てくる物、人、街、食べ物、色、曲、
祭、スポーツ、趣味など全部に
やたらと「私これ大好きだからねぇ」と言う。
私は昔から心の中で突っ込みを入れるのだ、
「全部じゃねーか!」
「大好きの安売りだな…」と。
感覚としては
“親友” の議論に近いかもしれない。
“友達”で良くね?
“親友”って呼ぶ必要ある?
っていうやつ。
私はどっちでも各個人でご自由に
好きなようにしたらいいのでは…と思う。
ちなみに私が使うのは “友達” の方。
話がそれた…。
母の言う「大好き」も
別に「大」付けなくても良くね?
と思ってしまう。
記事の最初の方に
片思いなのではないか
好きを、返してもらえない切なさ
それとは真逆
大好きでいさせてくれない腹立たしさ
というメモの話を書いた。
ここで繋がるのだ。
まるでヤキモチみたいじゃない?
母は昔から私に執着している。
思春期になった私はそれが嫌で嫌で
県外の短大を選び
高校を卒業して逃げるように一人暮らしをした。
肩から背中にかけて
ズベェ~ッと乗られてる感覚だし、
足にズリリィ~ッと
すがり付かれている感覚だった。
それなのに!
私には「大好き」と言わないのだ!
他の物、人、犬には
何度も「大好き」と言うくせに
私は言われた事がない。
母は私の事を執着はするけど大好きではない。
ハァ…ついに出た…
私と母が共依存なのがわかるね、こりゃ。
私には愛情はくれないのに
私からは愛情を奪っていく。
でも他のものには
愛情をたくさん何度もあげている。
そんなにポップにあげられるなら
私も欲しかったなぁ。
だから母の言う「大好き」が嫌いだ。
◎そりゃ息子にも
最後に息子についても書いておく。
私は息子に執着していたと思う。
どのような執着かは正直わからないけど
母との共依存がある以上、
息子にだけ出てないとは考えにくい。
でも今はポップに大好きと言えていると
自分では思っている。
少なくともジットリとはしていない。
それは自分と向き合ってきた日々が
そう言っても大丈夫だよと
背中を押してくれている感じがするのと、
息子の様子に答えがあると思っているからだ。
息子は今、自分と向き合っている。
まだまだ色んな課題はあるし
葛藤もしてるけど
私の事など眼中にないのだ。
以前は私の顔色を見ていた。
NOと言えない
自分の意見が言えない
反対意見ならなおさら
感情も出さない
でも今は違う。
それどころか逆じゃないかな、と思う。
でもぶっちゃけると
息子に執着がある自分でもいい、とも思う。
きっと執着したいほどの何かがあるのだ。
それで息子がつらいなら
困ったねぇ、どうしようかねぇ。
でもたぶん向き合っていげは
また答えは見つかる。
私は息子に大好きだと言っている。
以前は言おうと決めて言っていたけど
今は言いたくなったらすぐに言っている。
自分と向き合ったおかげで
最近の私は視界が晴れやかなのだ。
きっと大丈夫さ感というか
どうにかなる感が内側から出てくる。
心がとにかく軽い感じ。
なのでつい言ってしまうのだ。
「大好きだー!」と伝えると
息子は片手でピラッとはね除ける仕草をする。
切ない…。
そうだ、思春期だ。
ぜんぶ思春期のせいだ。
◎まとめ
何だか今回は母の事が
ものすごく進展した気がする。
早起きして良かった♡
けいこさん、コメントいただいて
本当にありがとうございます。
おかげでスッキリしました。
note最高!!
それではまた(^-^)/
私の中にあるパンドラの箱、
それは母の発達障害と向き合う事です。
長年ずっと苦しんできた事で、
自分の気持ちをごまかしてきた事でもあります。
解決策は出ないと思いますが
今の私なりの答えは出せるかもしれない…
そう思い立って箱のフタを開ける事にしました。
少しずつやっていきます。
シリーズになると思いますので
よかったら読んでみて下さい。