台風一過とウエスづくりと「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
台風が去っていった。
思えば6年前、季節はもう少し進んだ9月8日の夜
家がつぶれるのではないかと思うような
戦争が始まったかのような
金属製の雨戸を引きちぎるような
猛烈な音と振動で房総半島を蹂躙した台風15号と
同じくらいの被害をもたらすだろうと注意喚起されていた今回の台風7号。
予報のたびに東へ少しずつ進路をずらしていってくれたおかげで、今回は被害がなくて済んだけれど。
台風一過、今日はものすごく暑くなった。
洗濯物はとにかく乾くので、大物を洗って干しまくる。
干している間にも、どっと汗が出てくる。
汗をかくついでに、あちこち掃除機をかけ、着なくなった衣類をカットして、ウエスにする。使い捨ての布切れを作るのだ。
ものすごく暑い今年の夏、巨大化する台風、変化する生き物たちを身近に感じて
地球に対して何ができるだろう?と考える。
考えながら、古くなった衣類に切り込みを入れる。
散々、袖を通して、洗いこんできた、くったくたになった衣類たち。つんつるてんになった子どものパジャマ。
「おつかれさま」の気持ちと共に、子どもたちにも手伝ってもらって分解していく。
手を動かしながら、劇場版の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を見る。見ながら、子どもが亡くなるシーンで泣く。泣きながら、それでも布を切り離していく。
アニメや映画は昔から、好きでよく見ていたけれど
興味を覚える部分が、年と共に変化しているのを感じる。
若い頃は、純粋にキャラクターに入り込んで、感情の浮き沈みを共にして、ひたすら物語にのめり込んでいたけれど
年を経て、作り手の話を聞いたり作り方を見たりする機会が増えるうちに、ちょっとした影のつけ方や、光の使い方、カットの割り方、声の演技や音楽などにも興味が広がり、感動を覚える幅が広がった。
一方で、残酷な描写への耐性が下がった。
仕事がら、内臓系は大丈夫…なはずだったのが、リアルでなくアニメであっても、腕を落とされたり胴体が切られたりするだけで、見るのがしんどい。
妊娠するまでは平気で見ていたのに、子どもを抱えてから、急にダメになった。
目の前で命が奪われることへの、本能的な忌避、という感じ。それがたとえ、絵に描いたものであっても。
それなのに、子どもが描くグロめイラストは、いくら見せられても微笑ましくなってしまう。
受け取りかたと表現方法によるのだろう。
ヴァイオレットの健気さが、表情が、ただひたすら切なかった。
あと、義手の音が澄んでいて、きれいだった。
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10着以上の衣類をばらし、紙袋いっぱいに詰めたウエスを、職場の消毒や拭き掃除のために、持っていく。
職場で使うから、という実利が先には立つかもしれないけれど
地球温暖化と、
温暖化を止めるためよりも戦争をするために動いている人間への
ささやかな抵抗の意志をこめた、古着のウエス
雨戸を閉めようと空を見上げたら、
昨日は見えなかった月が、ぽっかりと空に浮かんでいた。