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「光る君へ」第41回がざっくりわかる!ネタバレ雑感メモ

  • 実家に帰ったら、見知らぬ若者・双樹丸がいてびっくりのまひろ(藤式部、のちの紫式部)だが、娘の賢子を救ってくれたと聞いて礼を言う。彼が帰った後で、そこそこ失礼なことを言われていた賢子に、怒らないのかとまひろがたずねると、賢子曰く「私は怒ることが嫌いなの」。父・道長譲りだなあ、という顔を、人知れずするまひろ。

  • 新たに帝となった三条天皇はなかなかのやり手。先帝・一条天皇より年も上だし、なにしろ皇太子だった期間が25年。やる気満々。

  • 三条帝に関白着任を打診されるも、体の良い名誉職を辞退する左大臣道長。では泣く泣く諦めるけれど、それでは代わりに朕の願いを一つ聞け、と、交換条件で、藤原娍子を女御にすることを受け入れざるを得なくなる(断るのを見越して言っていますよね?)。道長の娘の妍子も女御になるのではあるが……。

  • 藤壺のまひろの局を訪ねる道長。なぜ、世の理を曲げてまで自分の孫の敦成親王を東宮に据えたのかと尋ねるまひろに、「俺は常にお前との約束を胸に生きてきた。お前にはそれが伝わっていると思っている」と答え、彰子を支えてほしいと言い添える。

  • 彰子は、先帝・一条天皇の一の皇子・敦康でなく自分の息子である敦成を東宮にした父・道長のやり方に疑問を感じており、言いなりにばかりはなりたくないと考えている。その意思の強さ、これまた父・道長に似ているなあ……と内心思っていそうなまひろ。

  • 秋の日、彰子の藤壺で和歌の会が開かれる。一条帝の逝去後、沈んでいる彰子を元気付ける意味もあるのであろう感じで、頼通・頼宗らの彰子の兄弟も参加。赤染衛門・藤式部まひろ・和泉式部らが歌を詠む。そこへ、清少納言が敦康親王から託された、「亡き院も皇后様(定子)もお好きであられた」椿餅を持参して登場。「もう敦康様のことは過ぎたことにおなりなのでございますね。このようにお楽しそうにお暮らしとは思いもよらぬことでございました」と言い放って場を凍らせ、一首詠んでくださいと赤染衛門が頼むも却下。

  • 彰子から「いつでも来て良い」という文をもらい、飛んで駆けつける敦康。彰子の顔が見たいと御簾をくぐって彰子に近づく(この時代ではあり得ない暴挙)。「光る君のようなことはいたしませぬ」と言いながら、しばらく彰子と歓談し帰っていった。

  • 行成からこの報告を受けた道長は、敦康が二度と、内裏に上がれないようにせよ!と命じるが、行成は、道長があまりに多くのものを敦康から奪っている、と、おそらく初めて道長に反論する。「左大臣様がおかしくおわします!」

  • まひろが実家に帰ると、また賢子のところに来ている双樹丸。武者は身体を張って、仲間と協力して敵と戦うのだ。武者であることに誇りを持っているという双樹丸の話を興味深く聞くまひろ。

  • 道長から、敦康と会うことは控えるように言われ、反発を覚える彰子。父の言いなりになりたくないという彰子に、まひろは「仲間」を持つことを勧める。まひろの助言で、彰子は実の弟の頼通教通、腹違いの弟の頼宗顕信を呼びよせ、兄弟での結束を呼びかける。

  • 同い年の義理の息子・敦明親王に興味津々でちょっかいを出す妍子。言いよっているところを、敦明の母で自分と同じく三条帝の女御である娍子に見つかり、反対に平謝りに謝られる。立場を考えた娍子、賢い。面白くない妍子はこれきり火遊びはやめるも、浪費は一層激しくなる。

  • 三条天皇は、愛する娍子の弟の通任参議にしたい。「半年前に蔵人頭になったばかりの通任を参議にするのは早い」と反対する道長に、蔵人頭の職が空いたら、道長の息子の顕信を任ずると提案する三条帝だが、道長はこれを断る。

  • これを知った顕信は、道長に「蔵人頭になりたかった!」と涙ながらに訴え、母である道長の妾・明子も激昂する。

  • 早朝、土御門殿を火急の用件だと訪れた比叡山の僧から、顕信が出家したと聞かされた道長は絶句する。この時代、俗世間から離れる出家は、死ぬにも等しいものと考えられていた。

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