人の意見に耳を傾ける難しさ | 読書日記『真田太平記(六)』その2
第六巻、読了。
第六巻のクライマックスは犬伏の陣所での真田父子3人での語らい。父と次男は西軍に、そして長男は東軍に別れることを確かめる描写。父・昌幸だっておそらくどちらに勝機ありかは分かっていたのではないか。それでもここの判断は上杉景勝に義理を通す、その一点だった。あの時の恩を忘れないという自分の生き様を選ぶ。そういった損得では語ることができないところに自分の人生を賭ける。そういった武士の生き様に触れられるのが戦国時代小説の魅力だと思う。
なるほど、真田昌幸・幸村があと先を顧みずにただ自分の生き様を体現するかの如く突き進んでいく背景には、すでに先の上田攻めにて徳川家康と対峙した時に腹を括っていたのではないか。もはやこれまでという気持ちで、ただ藁にも縋る想いで犬猿の仲の上杉景勝に和睦を申し入れた。その時の恩と延命を比べるべくもなく、その時の恩を選ぶ、という自分の信念をつき通す選択をする。武士とはこうあるべきだ、というまさに生粋の武士魂が溢れる描写だった。まあ、父・昌幸は死んでも家康に従うものか!という心情もあったのだろう。そういった自分の心情のまま生きるというのも清々しいと思えた。
話は変わり、最後の方、赤坂への夜襲に関する描写がまた興味深い。
西軍の一つの砦であった岐阜城が落城となり、劣勢気味な西軍。勢いに乗った東軍の先鋒は勢いあまり、赤坂という相手の陣地に入り込む場所まで進んでしまった。
ここに西軍の援軍できた勇将の宇喜多秀家は戦況を聞き取るや、夜討ちを提案。
しかし、西軍の指揮をとる三成はこの提案に難色を示し、即決を避ける。諸将の意見も聞き、時間をかけた結果夜討ちは思いとどまることにした、という判断を下した。戦の流れからみて、夜討を仕掛けることによって東軍の先鋒を押さえ込んでいたならば、この先の戦況も大きく変わっていたのかもしれない。
当代の知識人とも言われた三成であっただけに、どうしても計算と理論が先に立ち、迷いが出る。現場での勘、勢いなどによる即決ができないタチだったのか。
石田三成のキャラクターは頭脳明晰、知識豊富で仕事がとにかくできる。加えてプライドも高く常に上から目線。理論・理屈で物事を捉えることに長けており、その能力を買われ豊臣秀吉に重宝された。しかし、戦国時代を武功により生き抜いてきた武士たちとの感覚とは大きな隔たりがあったように思う。おそらく仕事はできるがどうも気に触るキャラクター、として描かれている。
ただの読者の1人としては、この三成に少しでも人の心情を掴むことができたならなあ、と思ってしまう。
次巻はいよいよ関ヶ原。真田親子の対決もどうなっていくのか、目が離せない。