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今日も、読書。 |読書とは、他者の人生を追体験することだ
日本文学史上、直木賞と山本周五郎賞のダブル受賞を果たした例は、わずか2例しかない。
ひとつはまだ記憶に新しい、佐藤究さんの『テスカトリポカ』。そしてもうひとつが、遡ること20年近く、熊谷達也さんの『邂逅の森』である。
通例的に、同一作品に直木賞と山本周五郎賞を両方受賞させることは、避けられてきた。しかしそんなハードルを乗り越え、見事ダブル受賞を果たした小説には、他の小説にはない圧倒的な力があるはずだ。
熊谷達也|邂逅の森
熊谷達也さんの『邂逅の森』は、もはや言うことなし。紛うことなき傑作だった。個人的には、2022年に読んだ小説の中で、暫定1位である。2004年に出版されたこの作品が、現代で少しでも多くの人に読まれることを願い、この記事を書く。
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秋田の貧しい小作農に生まれた富治は、伝統のマタギを生業とし、獣を狩る喜びを知るが、地主の一人娘と恋に落ち、村を追われる。鉱山で働くものの山と狩猟への思いは断ち切れず、再びマタギとして生きる。失われつつある日本の風土を克明に描いて、直木賞、山本周五郎賞を史上初めてダブル受賞した感動巨編!
本作は、急速に近代化が進む大正〜昭和初期の日本が舞台。古来からの伝統を重んじる、東北のマタギの物語だ。
主人公の富治は、幼い頃からマタギとして山に入り、優れた射撃の腕前を持つ青年。物語は、彼の視点で描かれる。
マタギとは、頭領を中心とした狩猟集団を形成し、山で獣を追って狩りをする猟師たちのこと。クマやシカなどの動物を狩り、交易によって対価を得て暮らす。狩猟の儀式や役割分担、山の神への信仰など、独自の文化を有している。
本作は、とにかくパワーがすごい。マタギの世界に、一瞬で没入できる筆力。これまで全く知らなかったマタギという存在に、気づけば親しみを覚え、彼らと共に山に分け入る気分になる。
特徴のひとつがディティールの描写だ。マタギたちの文化・生活が、詳細に記述されている。
例えば、集団で催す儀式。動物を仕留める狩りの作法。厳しい冬を乗り越える生活の知恵。そういった、マタギの暮らしのディティールが徹底的に追求されており、物語に深みを持たせている。
大人数で逃げる獲物を仕留める巻狩りや、越冬する巣穴に潜む熊を仕留める穴熊猟。狩りの方法も様々であり、それぞれ克明に描かれる。狩猟の場面では、彼らの息を潜める気配、獲物を追う筋肉の流動が伝わってくる。
方言の活用も大きい。マタギたちの会話文は、基本的に方言で書かれている。
時に、意味を取るのが難しいところもある。富治は一度、徴兵訓練のために上京した経験を持ち、標準語も知っている。故郷では方言、外に出れば標準語と、話し方を使い分けているところもリアルだ。
方言の活用により、マタギの存在がぐっと身近に感じられる。この辺りは、以前読んだ荻原浩さんの『二千七百の夏と冬』という作品に近いところがある。
本作の舞台設定が、昭和初期の日本である点も興味深い。第一次世界大戦が起こり、日本でも工業化が発展していく時期。マタギたちの伝統的な生活は、旧時代の遺産として、日本の世相と対比して描かれる。
マタギたちは、動物の骨や毛皮などを売って生計を立てている。近代化の波は、彼らの生活資源に直接的な影響を及ぼす。
暮らしの先行きが曇る中、岐路に立たされたマタギの葛藤と悲哀。資本主義社会と自給自足社会の境界に位置する、不安定な存在。この小説では熊などの動物だけでなく、こうした時代の大きな変化も、マタギたちの敵として立ち現れてくる。
富治が故郷の村を追われ、マタギを辞め、鉱山で働き始めるところでも色濃く描かれる。鉱山で採掘される金属は、軍事産業の需要に大きく左右される。政治や外交の動向によって、鉱山産業の隆盛は180度変わるのだ。
そして圧巻なのは、ラストの「山のヌシ」との死闘である。
この場面は、涙無しでは読めない。富治のマタギとしての命運だけでなく、近代日本におけるマタギ文化そのものの命運をかけた、決死の戦いだ。互いに一歩も引かない、知略と気力のぶつかり合い。ぜひ見届けてほしい。
読書とは、他者の人生を追体験することだ。
本を読む人は、そうでない人よりも、多くの人生を生きている。
私にとって『邂逅の森』ほど、このことを強く実感した作品はなかった。この小説を読まなければ、私はマタギの世界を知ることなく、一生を終えていただろう。
皆さんも、一度きりの人生で、マタギの息づかいを感じてみたくはないだろうか。邂逅の森へと、足を踏み入れてみてほしい。
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