今日も、読書。 |『オックスフォード英語辞典』の誕生秘話、二人の天才の数奇な人生
三浦しをんさんの『舟を編む』という小説をご存知でしょうか。
出版社の辞書編集部に勤める青年が、『大渡海』という新しい辞書を完成させるべく、同僚たちと奮闘する物語です。
本作を読むと、「辞書をつくる」という作業の難しさに圧倒されます。
ひとつひとつの言葉を万人に理解してもらうために紐解き、適切に表現していくことの途方もなさ……!
普段私たちが手にする辞書は、言葉を愛する人々の、長きにわたる苦労の集大成なのです。
ところで、「世界で最も権威のある辞書」といえば、どの辞書だと思いますか?
それは——『オックスフォード英語辞典』。略して『OED』と呼ばれる英英辞書です。
サイモン・ウィンチェスター|博士と狂人
本作は、OEDの編纂が企画されてから完成するまでの過程を追ったノンフィクションです。
特にOED完成に大きく寄与した二人の人物、ジェームズ・オーガスタス・ヘンリー・マレー博士と、ウィリアム・チェスター・マイナー博士の数奇な生涯に、焦点が当てられています。
OEDについて 〜人類が成し遂げた偉業〜
OEDは、編纂開始から完成まで約70年もの歳月を要した、とんでもなく壮大な英英辞書です。
ここで、OEDの基本情報を確認してみましょう。
こちらをご覧いただくと、OEDがいかに壮大な書物であるかがお分かりになると思います。
(活字の全長286.5キロメートルは、東京都新宿区から岐阜県岐阜市までの直線距離と同じくらいです)
OEDの編纂は本当に途方もない作業で、かつてこれを人間が行ったということが信じられません。
現代であれば、膨大な文献の中から用例を引用してまとめる作業をAIが担ってくれるのではないか、などと考えてしまいますが……。
——しかし、そういうことではないのです。言語を愛する人間が結集し、この歴史的な偉業を成し遂げたことに、感動があるのです。
二人のキーパーソン 〜博士と狂人〜
OEDの完成に貢献した二人のキーパーソン、マレー博士とマイナー博士。
マレー博士は、OED編纂担当者のひとり。貧しい家庭出身のイギリス人で、幼い頃から知識欲が旺盛、やがてプロも認めるほどの言語研究オタクとして有名になります。
彼の功績はオックスフォード大学にも認められ、OEDの編纂者として指揮を取る立場になりました。
マイナー博士との対比で真面目なエリートとして描かれるマレー博士ですが、彼の逸話として「近所の牛にラテン語を教えて呼びかけに応えさせようとした」なども紹介されており、彼は彼で、変わった人物であることがわかります。
一方のマイナー博士は、OEDの編纂に文献閲読者として最も貢献した人物です。
本作『博士と狂人』は、彼が罪のない男性を銃殺する衝撃的なシーンから始まります。
彼は過去の戦争のトラウマから統合失調症を患い、精神病患者として刑事犯精神病院に終身隔離される身となるのです。
そんな殺人を犯した精神異常のアメリカ人が、OEDの編纂にどのように関わってくるのか。それこそが、本作のOED誕生物語の鍵となります。
『博士と狂人』の見どころ
本作『博士と狂人』の見どころとして、まずは「OED完成までの人類の熱い奮闘が描かれている点」が挙げられます。
OEDの編纂方針は非常に独特で、「数多の文献から英語の用例を徹底的に集め、あらゆる語彙のあらゆる意味がどのように使用されているか示す」ことを基本としているのです。
ご想像のとおり、これは気の遠くなるような作業です。無数の文献から40万以上の単語の用例をひたすら拾い集め、それを1冊の書物にまとめるなんて、思いついても実行に移せません。
また、各見出し語の初出年代と最古の用例を記載している点もとんでもないポイントです。
どこまで遡れば最古となるのか——普通は尻込みしてしまうような無謀な挑戦に、OEDは果敢にも挑んでいきます。
この人類史上類を見ない壮大な事業、完成までの道のりは、当然ながら苦労と失敗の連続でした。
数々の計画が生まれては頓挫し、編纂担当も入れ替わっていきます。
そんな中、マレー博士がイギリス全土に呼びかけた「英語文献閲読の協力依頼」。これにより、辞書編纂に賛同する篤志の一般者たちが、一致団結してOEDのための文献閲読に取り組みます。
ここで登場するのが、精神病院で暮らしていたマイナー博士。彼の画期的な閲読方法が、OED編纂事業を大きく前に推し進めることになるのです——。
本作『博士と狂人』のもうひとつの見どころは、「マレー博士とマイナー博士、”博士と狂人”の数奇な人生譚」です。
出自も境遇も異なる二人の天才の人生が、OEDの編纂事業を通じて、奇跡的に交錯するのです。
本作では二人の博士の生涯を、綿密な調査とインタビューに基づき、丁寧に追っていきます。
そして、それぞれ苦難に満ちた人生の末、二人が遂に出会うことになるシーンは、非常に印象的でした。
マイナー博士が殺人事件を起こし精神病院に隔離されていなかったら、マレー博士が貧しさ故に学問への道を諦めていたら、OEDの完成は成し遂げられなかったかもしれない——。
「事実は小説よりも奇なり」という格言がまさにぴったりの、著者渾身のノンフィクション『博士と狂人』。気になった方は、ぜひ手に取ってみてください。
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