#12 読書で世界一周 |ヘッセ『デミアン』 自分の人生を決定づけるのは、自分でしかあり得ない 〜ドイツ編〜
「読書で世界一周」は、様々な国の文学作品を読み繋いでいくことで、世界一周を成し遂げようという試みである。
前回は北欧旅の最後の1カ国、デンマークを訪れた。すっかり久しぶりとなる今回は、陸続きに南下してドイツを訪れる。
私が選んだのは、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』。さて、今回はどんな旅になるだろう。
ヘルマン・ヘッセ|デミアン
ドイツ文学を読むにあたり、どの作家のどの作品を選ぶべきか、非常に悩ましかった。
フランツ・カフカやトーマス・マン、ミヒャエル・エンデなど、ドイツ文学には世界的に有名な作家が数多くいる。
特にカフカは、今年が没後100周年の節目ということもあり、本企画にぴったりであるように思えた。
しかし、最終的に私は、ヘルマン・ヘッセを読むことにした。
ドイツ文学は、人間の苦悩や成長を主題とし、深く思考を巡らせる内省的作品が多いと聞く。
今回取り上げる『デミアン』は、若き青年による自我の探求、悪への憧れと畏怖、理想と現実の間の葛藤が描かれている。
人が青春時代に経験する自己形成が主題であり、ドイツ文学の系譜を色濃く体感できる作品だと考えたのだ。
ヘッセは以前『車輪の下』を読んだことがあり、それが面白かった記憶があることも選書理由のひとつだった。
善悪の世界で揺れ動く
主人公シンクレールは、自身で「善」「悪」と位置付けたふたつの相反する世界の狭間で、終始思い悩む。
「善」とするのは、両親と暮らす家庭を模範とした、キリスト教の教義に則る規則正しく清浄な世界。
「悪」とするのは、清廉潔白なキリスト教の教義に反する、邪な欲望に満ちた、それでいてどこか魅惑的な世界。
シンクレールは、家族と同様に「善」の世界を歩んでいきたいと願いながらも、学生生活を送る中でしばしば「悪」の世界に引き寄せられ、理想と現実のギャップに苦しむのだ。
このあたり、私にも身に覚えがあるし、きっと誰もが一度ならず思い悩むことではないかと思う。
誰しも理想とする人間像を持っていて、その通りに生きたいと願うものの、日々様々な誘惑に翻弄され、気づけば脇道に外れてしまったりする。
たとえば、「明日は充実した休日を過ごそう!」と意気込んで眠りにつくも、起きたら既に正午近く、気づけばベッドの上で1日が終わってしまう——なんてことも。
これを善悪と呼ぶと大袈裟かもしれないが、こういう理想と現実のギャップに落ち込んだりすることは人間多々あって、そういう種類の葛藤を詳らかに掘り下げた作品が、『デミアン』だと言える。
特にシンクレールが、悪の世界を良くないものと知りながらも、その世界の仲間たちに認められたり、その世界に自分が馴染めていると感じたりすることに、優越感を覚える描写。
この複雑な自己矛盾は、特に幼少の頃を振り返って、自分の中にも大いに存在していたな……と思う。
友達と規定の通学路から外れた道を歩いてみたり、学校に漫画やゲームをこっそり持ち込んでみたり——。
そういう細やかな、でも両親や先生に隠れてする行為への憧れと罪悪感は、確かにあの頃存在していた。男の子はみんな、一度はジャイアンに憧れるのだ。
シンクレールは、時に自分を非人間と評するほどに自己に厳しい。その程度はさておき本作では、人間が内に抱え、どうにか折り合いをつけながら成長していく善悪の世界が克明に描かれている。
”もうひとつの世界”における自己実現
『デミアン』では、上述した善悪の世界に加えもうひとつの世界が登場する。その世界は、本作のタイトルにもなっているマックス・デミアンという青年によってもたらされる。
(余談だが、私は本作を読み始めるまで、デミアンを主人公の名前だと勘違いしていた……ごめんよシンクレール……)
その新しい世界は、一見すると悪のように思えるが、実は人生の本質を表しているという複雑さを有し、シンクレールの心を大きく揺さぶる。
デミアンはシンクレールに対して、学校で教わったキリスト教の解釈が全てではなく、考えようによっては全く異なる解釈ができることを説く。
それまでキリスト教世界を「完全なる善」と見做していたシンクレールは、そこに自分で解釈を加えたり、異なる視点で捉え直したりする余地があることにひどく狼狽するが、デミアンの思考に徐々に影響を受けていく。
デミアンという人物を通して本作が伝えているのは、絶対的とされる常識や教義の前に思考を停止させず、自身の信条に基づいて結論を下すことの重要さだ。
本作では、もうひとつの世界の神をアプラクサスと称し、その存在は神であると同時に悪魔であり、善の世界と悪の世界を内に有すると説明される。
世間や道徳に踊らされず、アプラクサスのもとで自身の夢や思想を追求し、心の内に生じる衝動を捉え正直に生きること、それすなわち人間である。本作に一貫して存在するのは、そんなメッセージである。
「自分のやりたいことを実現する」という個人主義的な人生の命題は、今でこそ世に浸透している。しかしキリスト教社会で本作が発表された当時は、かなり革命的な主張だったのではないか。
本作が傑作であると同時に問題作と評される理由も、わかる気がする。
自己の達成と孤独
社会的生物である人間は、周囲の意見や風潮に逆らい、自己を貫き通すことに難しさを感じる生き物だ。
シンクレールも年齢を重ねていく中で、怠惰や色欲など様々な悪に翻弄されながら、人生の意義について深く悩む。
彼はデミアンとピストーリウスというふたりの友人と交流し、外的な要因によって人生を決定づけられるのではなく、自身の内的世界を形成することで人生を選択する道を見出していく。
上に引用したシンクレールの悟りで描かれているのは、人生における”孤独”の意義だ。自己を達成する者は、周囲に迎合せず自己を強く持つ、孤独を生きる者なのである。
第三者に定められた運命は存在しない。人生に義務などない。成すべき天職は、自分自身に達するという一点のみ。
孤独は、しばしば良くないものとされる。特に学校というコミュニティにおいて、その傾向は顕著だ。コミュニケーション能力の高い人が良しとされる風潮がある。
しかし、自分自身とひたすら向き合う孤独の時間は、自己実現のために必須だ。私が本作を読んで最も印象的だったのは、この部分だった。
デミアンの母であり、シンクレールの重要な導き手となるエヴァ夫人の言葉を引用した。
常に自身の夢を更新し続けること。本作を例にとると、戦争という外的要因に道を捻じ曲げられたとしても、内的世界を柔軟に更新し、しなやかな強さを保つこと。
人生でしばしば起こる予期せぬ出来事に振り回されないよう、ひとつの夢に固執しすぎない姿勢を説いている。これも本当に重要だと思う。
『デミアン』は200ページちょっとの短い小説でありながら、若者の複雑な自己形成の過程をつぶさに描くとともに、人生における大切な心構えを学べる作品だった。自分の人生を決定づけるのは、自分でしかありえないのである。
最後に、ヘッセ自身がはしがきで述べている文章を引用して、今回の旅を終わりにしたいと思う。
「読書で世界一周」、12カ国目のドイツを踏破。次の国へ向かおう。
13カ国目は、オランダへと歩みを進める。果たして、どんな作品に出会えるのだろうか。
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