
ずっと心に残っている短編たち 〜第四弾〜
心の中に、ずっと残っている短編があります。
読んだときの感動や衝撃が忘れられなくて、今でも鮮やかに思い出すことのできる、素敵な短編たち。
これまで全3回、シリーズでお届けしてきた「ずっと心に残っている短編たち」。
さて今回、新たにご紹介したい短編が3作品集まったので、”第四弾”をお届けします。
それぞれどんな短編なのかがわかるように、「◯◯を読みたい人へ」というキャッチコピーをつけてみました。
気になる短編があった方は、収録されている短編集をぜひ手に取ってみてください。
カズオ・イシグロ|老歌手
〜「美しい情景と、哀しい恋愛の物語」を読みたい人へ〜
まずは、カズオ・イシグロさんの『夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』から、「老歌手」という短編。

ベネチアのサンマルコ広場で演奏するギタリストが垣間見た、アメリカの大物シンガーとその妻の絆とは——ほろにがい出会いと別れを描いた「老歌手」をはじめ、うだつがあがらないサックス奏者が一流ホテルの特別階でセレブリティと過ごした数夜を回想する「夜想曲」など、音楽をテーマにした五篇を収録。人生の夕暮れに直面して心揺らす人々の姿を、切なくユーモラスに描きだしたブッカー賞作家初の短篇集。
短編「老歌手」は、イタリアのヴェネツィアが舞台。
世界中の有名人が足を運ぶサンマルコ広場に、トニー・ガードナーというアメリカの大物歌手がやって来ます。
長年連れ添った妻との思い出の地、ヴェネツィアの再訪。
ガードナーは妻に対して、夜のゴンドラに乗りセレナーデを贈るというサプライズを計画します。
しかし、そんな素敵な計画とは裏腹に、彼の表情にはどこか翳りが見られます。その胸に秘めた想いとは——。
本短編は、とにかく情景が美しい。
夜、街灯の明かりに照らされながら、運河を進んでいくゴンドラ。
妻のいる部屋を見上げ、ギターの旋律に乗せて、歌を届ける老歌手。
窓を開け歌に聴き入る街の人々。
果たして彼と妻の間に、どのような想いが交錯しているのか——その切ない秘密にも注目です。
本多孝好|瑠璃
〜「子供の頃の自由でまっすぐな心」に想いを馳せたい人へ〜
続いて、本多孝好さんの『MISSING』から、「瑠璃」という短編。

「謎々」とルコの声が言った。「夏はどうしてこんなに気持ちいいのでしょう」
ルコと一緒にいるから、なんて答えはさすがに言えなかった。(「瑠璃」より)
「このミステリーがすごい!2000年版」第10位!
第16回小説推理新人賞受賞作「眠りの海」を含む処女短編集、待望の文庫化!
退屈だからという理由で高校を中退、無免許で車を運転し破壊、他人のトランクに忍び込んで沖縄へ密航——自由奔放で無鉄砲な年上のいとこ、ルコ。
小学六年生の主人公「僕」とルコの、ひと夏の思い出と、数年後のほろ苦い再会を描いた短編です。
小学校のプールに忍び込みふたりで泳ぐシーンは、どこかノスタルジックで甘酸っぱい。
妻子持ちの年上男性に恋をしてしまったルコは、自身の身の振り方に思い煩います。
ルコに淡い恋情を抱く僕は、自由奔放なルコらしくないと、自分の気持ちを押し殺して背中を押しますが——。
本短編で描かれているのは、歳を重ねることによる人の変化。
自分が好きなことに一直線に没頭していた子供時代。
成長し大人になるにつれて、世間に蔓延る柵に絡め取られ、どこにでもいる安定思考の人間に変わってしまった自分に気がつきます。
誰もが持っていたはずの、眩いばかりに純粋な子供の心に想いを馳せ、そして現在の自分の生き方を見つめ直す、そんなきっかけになる物語でした。
星野道夫|もうひとつの時間
〜「仕事で忙しい日々に疲れた」と感じている人へ〜
最後に、星野道夫さんの『旅をする木』から、「もうひとつの時間」という短編。

広大な大地と海に囲まれ、正確に季節がめぐるアラスカ。1978年に初めて降り立った時から、その美しくも厳しい自然と動物たちの生き様を写真に撮る日々。その中で出会ったアラスカ先住民族の人々や開拓時代にやってきた白人たちの生と死が隣り合わせの生活を、静かでかつ味わい深い言葉で綴る33篇を収録。
こちらは厳密には短編小説ではなく数ページほどの短いエッセイなのですが、あまりに好きな作品なのでご紹介します。
ある時アラスカで暮らす星野さんのもとに、東京で忙しく働く編集者の友人が訪ねてきます。
南東アラスカの夏の海で、ザトウクジラを撮影する旅に出るためです。
夕暮れ時にザトウクジラの群れと遭遇した一行ですが、突然目の前で一頭のクジラが海面から空へと大きく舞い上がり、一瞬止まったかと思うと、そのまま巨大な飛沫を上げて海へと落下していきました。
目の前で起こった大迫力の光景に、言葉を失い茫然とする一行。その後、同行した友人がこんなことを言うのです。
東京での仕事は忙しかったけれど、本当に行って良かった。何が良かったかって? それはね、私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない、それを知ったこと……
雑事に追われて忙しなく過ぎる時間の中にいると、目の前の問題にしか考えが及ばず、視野が狭くなってしまいがちです。
しかし、私たちが過ごしている時間とまさに同じ瞬間、遠いアラスカの大海原ではゆったりとしたもうひとつの時間が流れ、クジラがその巨体を震わせているかもしれないのです。
そのことを想像すると、人生の選択肢は実は無数にあるのだという事実に気づかされます。
選ぶべき道はひとつしかないようで、本当は無限に広がっているのです。
仕事の悩みでモヤモヤしているとき、私はいつも本作を読み直します。
アラスカの大自然の中に身を置くことで自身のちっぽけさを実感し、世界中を流れる「もうひとつの時間」に想いを馳せるためです。
◇読んで良かった本を紹介しています。ぜひこちらもご覧ください◇
◇本に関するおすすめnote◇
◇読書会Podcast「本の海を泳ぐ」配信中◇
◇マシュマロでご意見、ご質問を募集しています◇
当noteは、Amazon.co.jpアソシエイトを利用しています。