#10 読書で世界一周 |誰もが内に抱える、静かな狂気 〜ノルウェー編〜
「読書で世界一周」は、様々な国の文学作品を読み繋いでいくことで、世界一周を成し遂げようという試みである。
これまでお届けしてきた”スカンディナヴィア半島編”も、いよいよ最終回。今回は、半島最西端の地、ノルウェーを訪れた。
ダーグ・ソールスターさんの『Novel 11, Book 18』という小説を読む。
ダーグ・ソールスター|Novel 11, Book 18
ノルウェーと聞いて思い浮かべた小説は
「読書で世界一周」は、その国出身の作家の作品や、その国が舞台となっている作品を読むことが、一応のルールとなっている。
ただ今回、「ノルウェー」を訪れるということで、どうしても私の頭に浮かんできて離れない作品があった。村上春樹さんの『ノルウェイの森』である。
本作の「ノルウェイ」は、イギリスの伝説的バンド、ビートルズの楽曲『ノルウェイの森』から取られている。国としてのノルウェーと、直接的な関わりはない。
直接的な関わりはないのだが、どうしても読みたくなって、読んでしまった。大学時代以来の再読だった。
私は村上春樹さんの描く恋愛の中でも、『ノルウェイの森』のワタナベと緑の関係が、特に印象に残っている。近所の火事を見ながらキスするシーンの衝撃は、未だに忘れられない。
ちなみに一番好きな登場人物はレイコさん。タイトルの『ノルウェイの森』も、レイコさんが直子に頼まれて弾くギター演奏から付けられている。このときの演奏が、やがてワタナベの記憶の扉を開かせることになるのだ。
レイコさんが直子を偲んで、50曲近くぶっ続けでギターを弾き続けるシーンがあって、そこも初読時に、印象に残ったところだ。すごく美しくて、すごく悲しいシーンだった。
思いがけない村上春樹繋がりで
閑話休題。
今回ご紹介するノルウェー文学の話へ。
著者のダーグ・ソールスターさんは、ノルウェー出身の小説家・劇作家。現代ノルウェー文学界で最も評価されている人物のひとりと言われ、北欧の名誉ある文学賞も受賞している。
そして、翻訳者が、まさかの村上春樹さん。『ノルウェイの森』を読んだ直後、思いがけない村上春樹繋がりに興奮。
ノルウェー滞在中に英訳版の本作に出会った村上春樹さんは、そのまま邦訳することに決めたとのこと。彼の仕事により、ダーグ・ソールスターさんの小説が、日本に初めて紹介されることとなった。
予想だにしなかった展開に驚き
本作は、主人公である初老の男性、ビョーン・ハンセン氏が、自身の半生を回顧しながら、これまで行ってきた人生の選択について自問する小説だ。
国家公務員として出世街道を歩んでいたハンセン氏は、妻子を捨てて愛人と連れ添うことを決意し、コングスベルクというノルウェーの田舎町で、地元の収入役として働く道を選ぶ。
その地で愛人のツーリー・ラッメルスとともに暮らしながら、地元のアマチュア演劇団での活動に打ち込むハンセン氏であったが、時が経つにつれて、ツーリーへの愛情に暗雲がたちこめ、やがて別離することになる。
その後、かつて見捨てた息子との不安定な共同生活なども描かれる。全体を通して、恋愛や仕事、表現活動に対する、ハンセン氏の淡々とした自己考察が主で、正直私は「どこかで読んだことのある筋書きだな」と思いながら読み進めていた。
しかし、最後の50ページほどで、私が予想だにしていなかった衝撃の展開が待っていた。
ここで描かれている、急ハンドルを切るようなハンセン氏の奇行によって、「人生の選択を迫られたときに人間がとる判断と行動」という本作の主題が、急激に重みを増すことになる。
ハンセン氏が突然狂人になってしまったように思えるが、それまでの彼の半生を踏まえると、実はその決断が全く理解できないこともないという、不思議な感覚に陥る。
そして、他ならぬ読者の私たちの中にも、ハンセン氏が心に抱える鬱屈と同種のものが備わっているのではないかと、薄寒い恐ろしさが襲いかかってくる。
誰もが内に抱える、静かな狂気を
作中で数々の”人生の選択”をするハンセン氏だが、基本的に彼の本心がよくわからないというのが、本作の特徴である。他ならぬハンセン氏自身が、自らの本心をよくわかっていないような感じである。
「何をふらふらしているんだ」ともどかしさを覚えるが、よく考えてみると、人が何か判断や行動を行うとき、そこに明確な動機を伴わないのは、よくあることだ。
「自分でもなぜあんな選択をしたのかわからない」という自問は、実はそこらじゅうに転がっている。フィクションでは見落とされがちの、このリアルな人間の有り様が、本作では目を背けたくなるほどに描かれている。
また例えば、歳を重ねてかつての美しさを失いつつある愛人・ツーリーが、それに気づかないふりをして優雅に振る舞う痛々しさと、そんな彼女とともに生活することに対して抱く、ハンセン氏の傲慢な孤独。
誰もが内に抱え、頭の片隅で、一瞬よぎるような正直な考え。本作は、それをやりすぎなまでに克明に、書き連ねた小説だと思った。
そして、最後にハンセン氏が見せる、静かな狂気。
どちらかといえば、将来のことを考えず、その場の直感に従って物事を決定してきたハンセン氏が、このように語る。
「なぜそうしたのか」ではなく、「とにかくそれを行なったのだ」と考えるハンセン氏。そんな彼が、それまで積み上げられてきた人生への抵抗とも取れるような、驚くべき選択をする。
果たして彼は、本作では描かれていない残りの人生において、この時の選択を後悔するのだろうか。それとも、妻子と別れて愛人との生活を選んだときのように、淡々と現状を受け入れるのみなのだろうか。
忘れたくないのは、この物語を読んできる最中に感じた、「ハンセン氏の気持ちはわからなくもない」という気持ちだ。誰もが抱える狂気。その狂気と、一瞬目が合ってしまったときの恐怖を、覚えておきたいと思った。
「読書で世界一周」、10カ国目のノルウェーを踏破。次の国へ向かおう。
11カ国目は、デンマークへと歩みを進める。果たして、どんな作品に出会えるのだろうか。
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