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教職についてのキャリア論

そもそも私自身が教職を選んだ動機というのも、深い思考の末に辿り着いたようなものではない。6年生の時に作ったタイムカプセルを開けるという体験ができたので再確認できたが、私はその頃から教職を志していた(らしい)。

確かに「将来の夢は?(この質問は嫌いである)」と聞かれれば、「学校の先生!」と即答できた経験しかない。大学も教育大学へ進学し、周りもほとんどが教職を選んでいたので、それについて悩む機会が一切無いまま、こうして教職についている。

これについては、我が師、内田樹先生は以下のように書いている。

給料がどうだとか、年金がどうだとか、福利厚生がどうだとかいう条件を見て、教師になるならないを決める人って実はあまりいないと思いますよ。教師というのは、医療従事者と同じで、「そういう傾向」の人が就く職業だからです。なんとなく教師になる。どうして教師になったのか、訊かれてもうまく説明できない。それが「傾向」ということです。

『複雑化の教育論』 内田樹著 東洋館出版社 p80

こう説明した後に、内田先生は、「だから、若い人の一定数は「教師になりたい」とぼんやり思っています。その人たちが来るようにすればいい。それだけのことです。」とも述べている。ということは、現在の教師不足という現象における「教員志望者の減少」というのは「不自然」なことなのだ。

私みたいに教職を志すような「傾向」の人間は、どの時代にも一定数はいるはずである。その人たちが「あえて」教職とは別の道を選ぶのである。これは異常事態である。「傾向」というのは、私自身を省みても、抗い難い力がある。それに抗う力を持てるほど、現在の学校は危機的であるという、よくある結論に落ち着いてしまった。

しかし、ここで論考を終えるには短すぎるので、もう少し「キャリア教育論」と引き付けて論じていきたい。

今となっては、教職は職業の一つであるが、近代教育が始まる以前の教育を担っていたのは「牧師」とか「集落で一番の知性を持つと認められる者」であった。だから「教える」という行為は必然的に「権威」と結びついていたはずである。昭和の時代における「先生の言うことを聞きなさい」という保護者の言説だって、この名残であろう。まあ、そんな昔話をしたところで、今の教職にはそんな「権威」は微塵も残っておらず、どちらかといえば「家庭教育に奉仕する公僕」なのではあるが。

では、現代の教職という職業には、どんな適性が求められるのだろうか。それをしっかりと把握した上で、なお自分には適性がありそうならば、やってみてもいいかなと思う若者がいるかもしれない。しかし、内田先生は「僕はこの考え方そのものが間違っていると思います。仕事っていうのはそういうものじゃないからです。」と断じた後に、以下のように論じる。

みなさんの中にもともと備わっている適性とか潜在能力があって、それにジャストフィットする職業を探す、という順番ではないんです。そうではなくて、まず仕事をする。仕事をしているうちに、自分の中にどんな適性や潜在能力があったのかが、だんだんわかってくる。そういうことの順序なんです。

『街場のメディア論』 内田樹著 光文社新書 p18

この論じ方は「時制の前後関係が狂って」いる。
まず自身の適性を確認し、適性があればその仕事をするではなく、「まず仕事をする」。すると、そのうちに、自分の適性や潜在能力がわかってくる。
このように、我々の「当たり前」の時の流れを逆から考えてみると、気が付けなかった真理に気がつくことができることがある。

現代の「キャリア教育」においては、「まず仕事をする」ということを述べる人は皆無である。職業選択には「材料」が必要であり、十分な材料を集めてから選ぶという考え方が支配的である。これは、わかりやすい。料理のようである。レシピというプロセスを正しく踏めば、再現性を確保することができる。

しかし、職業選択は料理ではない。そもそも「自分自身」という「よくわからない他者」を「理解しよう」という試みが、もう絶望的に困難である。そんなことは、どうでもいいから、「まず仕事をする」と仕事を始めてみて、合わなければ、辞める、くらいでもいいのではないだろうか。

実際、私自身が教職に勤めて感じるのも、まさに内田先生が述べるところである。つまり、「やってみないとわからないぞ」ということだ。いくら、空想の中で教職をしてみたところで、イギリスの詩人バイロンが『ドン・ジュアン』で述べる通り「事実は小説よりも奇なり」なのである。学校現場は、我々の想像を軽く凌ぐことで溢れている。

だから、そういう「傾向」があると感じる若者たちは、「まず仕事をする」ということで、学校現場へ来ませんか?