わずか2年半の故郷。
お盆の時期なので、亡きおっさんの妖精(父)に絡んだ話を。
恐らく2年半くらいの期間だったと思うが、わたしは多摩モノレールを利用して大学や仕事に行っていた時期がある。引っ越し族なヒガシノ家、当時の実家(還暦を過ぎた父がとうとう手に入れた一戸建て)に姉2人をのぞく家族3人で住んでいたのだが、あまりポピュラーではない多摩モノレール線駅が最寄りであり、通学・通勤がそこそこ不便であった。
まず、多摩モノレールは運賃が高い。3分乗っただけで210円。定期券を忘れたときなどは悲鳴モノである。そして乗り換えが面倒くさい。我々のはるか頭上を走るモノレールを降りたあと、地上を走る路線電車に乗るには、当然そこまで下りていかなければならないし、また各種鉄道の乗り場までは結構距離があり、乗り換えがギリギリになって走ることもしばしば。おまけに”終電”がはやい。当時は深夜0時が終電で、飲み会などで遅くなった日には、泣く泣く20~30分かけて家まで歩くのだった。
そんな多摩モノレールの思い出、実はいろいろある。
いつも家を出るのがギリギリのわたしは、モノレール乗り場まで毎日全力疾走。ある日すっ転んで、膝から血を流しながら会社に行ったこと。
帰りのモノレールで会社帰りの父を発見。駅に着いたあと、一緒に帰りたくないからと父のはるか後ろを歩くも、わたしの存在に気付いた父。帰りの一本道で、彼がチラチラとこっちを見るも、素知らぬフリを決め込んだこと。(意地を張らずに一緒に帰れば良かったのになあと、今は思う)
モノレールが終点についたあとも爆睡している、小麦色の肌をした中学生くらいの女の子。以前、わたしが爆睡していたときに起こしてくれた人がいたので、「ようし、わたしも起こしてあげよう!」と肩をトントンすると、ビックリしたのか緩んでいた彼女の口からヨダレが一筋…女の子が恥ずかしそうに飛び起きたこと。
なお、終電をなくしたとき、最初はいやいやながら家に向かって歩いていたのだが、そのうちそんな帰り道も悪くないなと思うようになる。空にチカチカと輝く星や、眠っている街の様子を眺めたり、音楽を聴きながら一服したりと、そこでしか味わえない時間があった。モノレールの始発がまだ出ていないときも、同じように歩いて家まで帰るのだが、出てきたばかりの太陽に照らされる川を眺めるのも好きだった。(しかし、そのあと家では母の雷が落ちることもあった)
また、モノレールと交わるように流れていた「川」も、わたしが好きなスポットの一つだった。
母と上手くいかなくて、泣き言を聞いてもらうために、川を眺めながら友人に電話したこと。お正月を迎えた挨拶を伝えるために、橋の上でボーイフレンドに電話したこと。終電を逃して歩いて帰ってきたとき、川の音を聞きながら星を眺めて名残惜しく一服したこと。
際立った魅力があるわけではない、片田舎風の街だったが、今思えばあの暮らしには思い出が詰まっている。そして道路も広く、高い建物が少なかったたあの街のように、広く空を眺めることは、東京ではなかなか難しいのだと身を持って実感している。
父が亡くなり、あの一戸建ては売却してしまったが、今でもあの夜の空と川の音が懐かしくなる。ああいう気持ちになれる場所に、また住みたい。
※TOPの写真…ウッカリ、こちらの記事と同じものでした、、(おっさんの妖精が本当になった日。)
が、当時の思い出を表す大切な写真なので、変わらず使用します!