なんてことない毎日のこと。昔のこと。これからのこと。

なんてことない毎日のこと。昔のこと。これからのこと。

最近の記事

曾祖母のこと

私は母方の祖父母の家の近くに住んでいた。当時専業主婦の母と弟と一緒によく遊びに行った。祖父母の家では祖父の母、私からすると曾祖母も同居していた。当時はなんとも思わなかったが、要は祖母は曾祖母の介護をしていたのだ。祖母はとても大変だっただろう。 曾祖母はとっても穏やかな人でいつも小さなテレビで水戸黄門を見るのを楽しみにしていた。母と一緒に曾祖母の部屋を訪ねるといつも嬉しそうだった。内緒でレモンスカッシュの飴をよくくれた。飴を舐めている私を見て祖母が私に「どしたのそれ?」と聞く

    • 冷凍みかんの話

      私は冷凍みかんが大好きだった。夏にしか出てこない、期間限定のデザート。冷凍みかんが献立に書かれているともうそれだけでワクワクだ。特に美味しかったのがプールの後の冷凍みかん。プール授業後の気だるい体に染み渡る冷凍みかんは本当に格別だった。 もう一つ、冷凍みかんの思い出がある。中学生の時にこっそりと給食のみかんをポケットにいれて、放課後、雪の中に埋めておくのだ。しばらくみんなで雪中鬼ごっこを楽しみ、みかんを掘り出すと立派な冷凍みかんになっているというわけだ。真冬の氷点下の中食べ

      • 弟のこと

        私には2歳離れた弟がいる。物心ついた時からもう弟は存在していたため、実感としては彼がいない世界で生きていた記憶はない。 幼少期の彼はいつも泣いていた。母の影に隠れて。彼は大きな声で喋ったり、言葉が強い父や祖母を苦手としていた。彼にとっての家族のヒエラルキーとしては第一に母親がいて、母がいなければ仕方なく私、他は論外のような感じだった。 そんな彼も今では接客業に従事し、店の常連さんにかわいがられている。幼少期の彼とはえらい違いだと思うが、きっとこれも母が思う存分彼を受け入れ

        • 忘れられない先生のこと

          教育実習に行った時に初めて子どもから「せんせい」と呼ばれたことを覚えてる。なんだかむず痒くて、先生なんて呼ばれるような人間じゃないのに。私が先生って呼んできた人たちは、どんなふうに思ってたんだろう。 私には忘れられない先生がいる。中学校の時の理科の先生だ。もうじき定年間近のおじいちゃん先生で、授業内容もたまに脱線し、自分がやりたいことやってるだけじゃない?というようなかんじだった。 先生の授業で忘れられないのがマウスの解剖だ。まず、手の届くところにあるマウスの衝撃といった

        曾祖母のこと

          自分のこと

          人に対してこういう人生を送ってきたと話すことはほぼないだろう。私の人生はたいして人に語るようなエピソードではないし、劇的に誰かを失った経験も幸いなことにまだない。それでも、少し書いていこうと思う。 私の1番最初の記憶は母に「どっちの幼稚園にしようか?」と聞かれているところだ。幼心ながらに犬が飼われている幼稚園がよくて、それをなんとなく伝えている記憶がある。この記憶を思い出すたびに子どもながらいろいろと考えているものなんだなぁと実感する。 そこからは流れるように小学校、中学

          自分のこと

          はじめてのnote

          初めまして。わけあって人生の中でたくさん時間がある期間にいるのでnoteを始めた。 今までどこかの集団に属していた期間しかなく、履歴書にかけることがない時間を過ごすというのは初めて。いざ、なんでもしていいよと自由を与えられると何にもできない人間だということを初めて知った。特にこれといった趣味もなく、ものすごく社交的なわけでもなく、でもなんとなく人と関わらないと寂しいそんなめんどくさい人なのだなぁ。なかなかこんな時間がある期間もないので日々のこと、昔のこと、これからのことを書い

          はじめてのnote