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牧師夫人の徒然なるままに

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週報に掲載されている、安食道子さんのコラムです。毎週更新しています。
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記事一覧

「牧師夫人の徒然なるままに」(八九二)「次世代への継承について」(その1)

 昨年暮れに黒沢リンさんの「クリスマス・コンサート」が開かれました。リンさんが山内修一さ…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八九一)「時代の流れ?」

 「教え」を後の世に継続して伝えるためには頑丈な保守の壁で囲みこまなければならないように…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八九〇)「神の箱の事を告げたとき」(Ⅰサムエル4・1…

 先回書きましたように、私の生活全般は日常の小事への気遣いに終始しがちです。政治家が興奮…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八八九)「神の国と神の義をまず求めよ」(マタイ6・3…

 私の日常は、とても小さな関心事に始まります。愛犬の健康状態はどうだろうか。植物は創造主…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八八八)「エルサレムの平和のために祈れ」(詩122・…

 イスラエル対ハマスの戦闘は、一年を超えました。当初はイスラエルに同情する世論が大半でし…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八八七)「おおらかな人は肥える」 (箴言11・25)

 昨年、詩人の谷川俊太郎さんがお亡くなりになりました。生前に、ある学校で生徒たちの質問に…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八八六)「さあ、二〇二五年のフレッシュな踏み出しを」

 いよいよ新年を迎えました。皆さんそれぞれに新たな思いを抱いて踏み出されたことと思います。  私事ですが、今年は「ゆっくりゆっくり」をモットーに過ごしたいと自らに言い聞かせています。昨年末、急に寒波が襲ってきたことがありました。暖かな冬の到来が油断を招いて、ベランダに出しっぱなしにしていた「ヒネム」が一晩で、元気をなくして、葉を垂れ下げてしまったのです。ごめんなさいと声を掛けながら部屋に取り込み、祈りつつ、一晩、二晩、三晩と暖かな環境で水やりに心を配りながら様子を見ました。

「牧師夫人の徒然なるままに」(八八五)「この一年を振り返って」

 毎年、クリスマスで忙しい師走のあと、ほっとする間もなく新年を迎える為、ゆっくりと一年間…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八八四)「すべての人を照らすまことの光があって、世に…

 思い返しています。イエスさまと出会ってから、いったい何度のクリスマスをお祝いしてきたで…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八八三)「女性に対する教えは時代をこえる?」(Ⅰテモ…

 今の共同住宅に引っ越した初期の頃の事です。くじ引きで当たってしまい、自治会の役員になり…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八八二)「聖書の深み」

 かつてKBI(関西聖書学院)で学ばせていただいていた時に、ユダヤ教から回心されたクリスチ…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八八一)「顔に汗を流して糧を得」(その2)(創世記3…

 今年も講壇上に、大きな美しいリースが飾られました。このリースは二〇二二年に天に召された…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八八〇)「顔に汗を流して糧を得」(創世記3・19)

 夜に愛犬の散歩をしています。眠る前の用足しをさせてあげたいからです。散歩の間に必ず人と…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八七九)「神は男と女とに彼らを創造された」(創世記5・2)

 まだ、私が十代の頃、従妹が「第二の性」という本を紹介してくれました。フランスの哲学者・文学者であるボーヴォワールの著書です。当時、この本は著者とサルトルとの共同生活なども煽り風になって一躍全世界で脚光を浴びることになりました。  この本の冒頭に書かれているのは「人は女に生れない。女になるのだ」という驚くべき一文です。私の従妹はこの本にすっかり心酔していて「女らしさなどは作られたものだ」と語りました。ボーヴォワールの主張が、その後の女性解放運動に大きな影響を与えたことは言う