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「牧師夫人の徒然なるままに」(八八八)「エルサレムの平和のために祈れ」(詩122・6)
イスラエル対ハマスの戦闘は、一年を超えました。当初はイスラエルに同情する世論が大半でしたが、その過激とも受けとられがちなガザ地区への攻撃に、世界中の世論がイスラエル批判へと向かっています。
あまり女らしくない(こんな表現は今や性差別発言になるのでしょうか?)と自他ともに認めている私ですが、テレビ等で報道されるガザ地区の惨状を目にするたびに、怒りと悲しみの感情が湧き出て来て、世の女性たちと同じように暴力に対して、涙があふれてしまいます。そしてイスラエル軍とその指導者に対して暴言を浴びせたくなります。
そんな感情を抱きながらも、私はかろうじて「主よあなたの御心がなりますように。私が感情的になって教会や世の中の人々に向かって、御心をないがしろにするかもしれないような意見に安易に賛同することがないようにお守りください。わたしは、思いを口に出して罪を犯さないように心掛けます。人々の前では、私の口からは、イスラエルに、エルサレムに平和が来ますようにという祈りの言葉だけが発せられることを望みます」と祈り続けてきました。
しかし個人の祈りでは、ありったけの思いを伝えてきました。必ず最後には「シャローム、イスラエル」と祈る事を忘れないようにしながら。
安食道子