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「牧師夫人の徒然なるままに」(八九〇)「神の箱の事を告げたとき」(Ⅰサムエル4・18)

 先回書きましたように、私の生活全般は日常の小事への気遣いに終始しがちです。政治家が興奮して世界情勢への対応を語ろうとも、私にとっては愛犬の健康状態の方が何倍も重大事件なのです。

 サムエルの時代に祭司であったエリは私とは大違いでした。そこから教えられる事もあるように思います。

彼は決して良い家庭人ではなかったようです。彼の息子たちは神の御心にかなうような成人には育ちませんでした。恐らく、エリは今で言うところの猛烈社員型の人だったのではないでしょうか。仕事のためなら、多少家族や家庭を顧みることがなくても仕方がないと回りも容認する祭司職第一主義の人だったのでしょう。

そんな祭司エリでしたから、息子たちの不正を神から指摘され、息子たちの最期まで預言されていたことを、おそらくは「神の御心のままに」という思いで受け止めていたのかも知れません。

Ⅰサムエル記4章には九八歳になり目も見えず、自分の体重を十分に支えることもできなかったことが書かれています。そのエリはペリシテに敗北して戦死した息子たちのことを聞いた時ではなく「神の箱が奪われた」の一言で動転して仰向けに倒れ、死を迎えたのです。神のご臨在を象徴する神の箱の強奪は、被造物である息子の死よりも、彼には重大だったのでしょう。
安食道子

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