片づけは、「聞く力」のあるリーダーになるためのトレーニングになるかもしれない
こんにちは、片づけ習慣化コーチの牛尾恵理です。
あなたは、「謙遜」という言葉に対して、どんな気持ちがわきますか?
辞書を引くと、
と、あります。
私個人的には、「謙遜」と言葉に対して、尻込みするような気持ちが湧きます。
日本人の美徳であるのはわかっているけど・・・でも、自分が自然に表現することは、実に難しい、という感じ。
それを表現しようとすることが、ぎこちないというか、嘘くさいというかー偽善者のようで居心地悪く感じてしまいます。
きっと、謙遜の対義語、「傲慢」寄りの人間なんでしょうね・・・😭
そんなわけで、ちょっとでも「自然な謙遜」を学ぼうと探していたら、今日はこんな言葉を見つけました。
■片づくマインド・名言シェア223
江戸時代のお殿様の言葉だと思うと、信じられないほどの謙遜ぶり・・・!
と、同時に、まさにこれは現代でも大いに通用するリーダー論なのではないかと思いました。
「聞く力」のあるリーダー。
こういうリーダーの元には、優秀な部下が勝手に集まってくるように思います。
この感覚、もしかすると、片づけにも応用できるかもしれません。
自分は「聞く」お殿様。
モノは、お殿様の周りに侍る(はべる)者たち。
と、設定します。
そして、一つ一つのモノに、こう問いかけます。
「キミは、誰の、何の役に立ちたい?」
「それは、いつどこで、どのような時?」
すると、モノがまるで答えるかのように、イメージが湧いてきます。
例えば、いつも迷子になりがちな「体温計」ならー
「私は、家族みんなの、体温チェックの役に立ちたい。」
「それは、朝食後、出かける前です。」
という感じ。
すると、「ああ、この「体温計」の定位置はダイニングの近く、すぐ手に取れるところがいいな」、となります。
もし、「今、私は誰の役にも立っていません」というモノがあれば、手放して自由にしてあげる方が、お互いにとって賢い選択。
傲慢になりがちなお殿様タイプでも、片づけをすれば、自然な謙遜力も、適材適所力も磨けるかも?
探究は続きます。
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余談
私が通っていた福井市立宝永小学校の前身「源泉小学校」は、松平春嶽公が命名したとのこと。
校長室には、その歴史を物語る写真や書があったことを思い出します。
いやそれよりも、この小学校の躾はものすごくて、校内も校庭も「裸足」!体育館での全校朝礼は「正座」!
公立なのに制服もあり、掃除をする時は女子はザッとスカートを脱いで「ブルマ姿!」ーそんなところでした(あくまでも当時の話)。
体操服もない、ゆるゆるの北海道の小学校から10歳で転校した私は、そりゃもうカルチャーショックを受けたのでした・・・