まほろ駅前多田便利軒/三浦しをん
積読本📚の中から、三浦しをんさんの「まほろ駅前多田便利軒」を拝読📖しました。(2021,10,3読了)
本作は瑛太と松田龍平が主演を務めた映画の方を先に知りました。
予告を見た感じで映画は面白そうだったし、原作は三浦しをんさんなので間違いはないだろと思いつつ、原作からお先に。
駅前で便利屋を営む主人公。そこへひょんなきっかけで元同級生にが居座ることに。
平凡なように見えていた主人公の暮らしが、元同級生の登場により少しずつ波立っていきます。
平凡なように見えていた主人公の暮らしは本当は平凡なわけではなく、抱えた闇に蓋をしてそこに触れないように生きていただけでした。
突然居座ることになった元同級生も同じように。
そして、便利屋に依頼してくる人たちもそれぞれに何かを抱えています。
何かを抱えている人たちというのは、何もないように平然と生きているものなのかもしれません。
自分の深い闇を癒せるのは自分しかいないことをわかっているから、変に人から触れて欲しくないものです。
苦労(闇)自慢して人から承認されたいわけではないので、よほどのことがない限りあえて語ることもないでしょう。
三浦しをんさんは、私の中で「闇の中から光を見出す」イメージです。
だから、著書には闇の中から光を見出すヒントが隠されています。
本書もまた、闇を抱えた人たちが光を見出し救われていくので拝読しながら嬉しい気持ちになっていきました。
本書の中に出てくる言葉も胸に沁みるものが結構多かったです。
「いくら期待しても、おまえの親が、おまえの望む形で愛してくれることはないだろう。」
「だけど、まだだれかを愛するチャンスはある。与えられなかったものを、今度はちゃんと望んだ形で、おまえは新しくだれかに与えることができるんだ。そのチャンスは残されている。」
親から望む愛情を受けれていない小学生の男の子に主人公がかけた言葉。
このチャンスは他責の念を手放した先にあるものだと思います。
親に望む形で愛されなかった自分ということに囚われていてはダメなんだけど、この手放しがなかなか難しいようにも感じます。
幸福は再生する、と。
形を変え、さまざまな姿で、それを求めるひとたちのところへ何度でも、そっと訪れるのだ。
ここも、物質的なものや目に見えてるものだけに囚われていると難しいのかなと思います。
幸福を再生されるも、しないも、やはり自分次第なんですよね。
ところで映画はまだ視聴していませんが、原作を拝読して配役はピッタリだなと思いました。
もう、頭で勝手に主演の2人が映像化されるので映画を見た気分です。
読書オプチャの方に教えていただきましたが、本書は全三巻のシリーズモノだそうで。
第一弾である本書がとても良かったので、ほかの二冊も拝読しようと思います。もちろん、映画も!
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