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紫式部が『源氏物語』で警告した予言は昭和の大戦で的中していた(7)「千年謎を解明できなかったミステリー」編
7 昌泰の変と六条御息所の人物評
では、昌泰の変に准えた物語に紫式部の執筆意図がどのように込められているのかも具体的に見ていきます。
既述したように、六条御息所のモデルは、菅原道真の娘斉世親王妃であるため、六条御息所(=斉世親王妃)と表記します。
昌泰の変との関連が一番よく分かる例、すなわち紫式部の執筆意図が一番込められている例は、「明石の幽霊」です。
その呼び方は、筆者の造語です。「明石の幽霊」は、明石で地獄に堕ち、成仏できないで現れた故桐壺院(=醍醐天皇)の霊です。勿論、明石という土地や地獄に堕ちた凶事も偶然ではなく、紫式部の執筆意図に直結している重要な意味があります。それは筆者の世界初の発見です。
明石の地は、菅原道真が明石で作った漢詩の中で「時の変改」(寵愛された身が流罪の身となって左遷される)(『大鏡』)と昌泰の変で生き地獄に落ちたとの無念な思いを吐露した土地なのです。そのため生き地獄に落ちた同じ痛みを道真が醍醐天皇に与えるため、紫式部は「紫の諷刺の力学」で、その明石で同天皇(=故桐壺院)を地獄に堕としたのです。
紫式部の執筆意図と一貫しているこの筆者の説明以外の「明石の幽霊」に対する明確な説明を寡聞にして知りません。専門家は、光源氏の貴種流離譚で、この「明石の幽霊」という天皇家の闇から目を逸らしました。
たいしたことをしなくても神と仰がれ、贅沢三昧の生活を可能にする皇位を我が子に嗣がせたいのが、親の天皇の常です。
昌泰の変も醍醐天皇が我が子に皇位を嗣がせたいがため、弟を皇位を嗣ぐ不適格者になるようにと弟の義父菅原道真に謀叛を捏造して陥れた、とするのが自然で論理的です。実際、同天皇は、子の保明親王が頓死しても直系に固執し、学識も人望もある傍系の弟の斉世親王には譲位せず、孫の慶頼王に譲位しようとしました。天皇家を重税で支える民に感謝し、その生活を楽にしよう、豊かにしようなどとは考えもしません。
醍醐天皇は、宣命に菅原道真とその謀叛について記しています。客観的に見て、赴任した讃岐の民に愛され、人を陥れたことのない人格者の道真が同天皇を退位させ、娘婿の即位を画策したとの嫌疑には無理があり過ぎます。道真に謀叛を捏造したことは同天皇が一番分かっていますので「権帥菅原薨ず。一階を増す。宣命之を焼却せしむ。火雷天神と號せよと勅す。」(『扶桑略記』)と、道真に罪悪感や後ろめたさのある同天皇は、虚偽を立証する証拠の宣命を焼却させて不正を有耶無耶にし、鎮魂しようと加階し、さらに怨霊化を恐れて天神として祀ろうとしました。
しかし醍醐天皇は、重罪人として菅原道真とその家族が強いられた犠牲を簡単に考えていました。家族も憤死させられた菅原道真は怨霊となり、昌泰の変の共犯藤原時平や首謀者醍醐天皇の子孫を次々と祟り殺し、雷となって清涼殿を炎上させ、遂に醍醐天皇を祟り殺し、地獄へ堕としたのです。
その昌泰の変での出来事を映り込ませた描写を、紫式部は「明石巻」に丁寧かつ詳細に記しています。簡潔に言うと、まず明石の天候を「雷鳴り静まらで」と描写し、次に「あやしき物のさとし」(異様な怨霊のお告げ)として「炎燃えあがりて廊は焼けぬ」という描写をしているのです。
つまり紫式部は、恋愛小説といった諷刺とは別の小説のように仮装して、まず雷と化した菅原道真の怨霊を描写し、次に醍醐天皇のいる清涼殿へ落ち紫宸殿に至る廊屋を炎上させた昌泰の変を描写していたのです。
すなわちこの「明石の雷火」という特殊な描写は、昌泰の変の「清涼殿の雷火」に読者を導くためのコードなのです。
歴史(昌泰の変)の「清涼殿の雷火」の要点と、物語(明石巻)の「明石の雷火」の要点である「雷となった怨霊・落雷・落雷による炎上・怨霊への怯懦・その怯懦による死」の五点が合致する確率は三十二分の一で、物語が歴史に准えていない限り起きないため、『源氏物語』は昌泰の変をモデルとして造作されている、と言い切れるのです。勿論、大事なところは、両者の合致ではありません。
大事なところは、なぜ紫式部は「清涼殿の雷火」をモデルにして「明石の雷火」の描写を『源氏物語』でしたのか、というところです。
その謎を解く鍵は、「明石の雷火」のコードを解読すると判る「清涼殿の雷火」の後登場する故桐壺院の霊です。本稿の(6)で既述したように、日蔵が「賢臣(=菅原道真)を辜(こ)无(な)きに過ちて流し」た罪障で「地獄の鐵窟」で醍醐天皇が苦しむ様を見た(「道賢上人冥途記」)記録は、天慶四年(九四一)の記録です。そのため天皇失格と言い切れる地獄堕ちの有名なエピソードは、紫式部を含め、執政者も、民も知っています。
そのため「明石の雷火」のコードを解読し、その描写に「清涼殿の雷火」の映り込みを察知した読者は、その描写の後に地獄堕ちし、成仏できないで現れた故桐壺院の霊は、醍醐天皇だ、と確実に分かったのです。ところが、源氏学の大家も専門家も、その国民が知るべき重大な事実を隠蔽し、中高の教科書に載せず、「恋愛小説」だと解説しました。
紫式部は『源氏物語』で神と仰がれている醍醐天皇(=故桐壺院)を地獄に堕とした意図は、天皇失格者であるだけでなく、人間失格者である理由をこの物語の読者に伝えるため、とするのが自然で論理的です。
紫式部が『源氏物語』において故桐壺院(=醍醐天皇)が地獄に落とし、成仏させない凶事で読者に伝えたかった思いは何でしょうか。
その思いは、我が子に皇位を嗣がせたいという私益のために醍醐天皇が、無実の忠臣菅原道真を陥れ、道真の家族も罪人として一家離散して配流し、憤死させたという天皇家として存続できるためなら忠臣とその家族を犠牲にしてよい、とする天皇家の在り方への批判以外では説明できません。
したがって、この場面に登場する「あやしき物」の「物」は、「道真の怨霊」と解釈しないと、主題との辻褄が合わないのです。以上、天皇失格者の三天皇の一人を紫式部が描いた意図は、筆者の世界初の発見でした。
また、もう一つ、昌泰の変との関連が最もよく分かる例があります。それは、専門家が政変との関連を全く指摘しなかった六条御息所(=斉世親王妃)の怨霊です。紫式部の執筆意図が最も込められています。
六条御息所の生霊は、昌泰の変で右大臣家(=菅原家)を奸計で没落させた左大臣家の切り札である葵上を祟り殺します。なぜ葵上が切り札かと言うと葵上が女子を産み、その子が皇后になって皇子を産めば、左大臣家(=藤原家)は摂関家となって栄華を極められるからです。
そこで紫式部は、葵上が子を産んだ後のタイミングで、六条御息所の怨霊に祟り殺されるようにしました。さらに葵上の子を男子にしましたが、そのことには重要な意味があります。そのことで左大臣家が摂関家となるためには頭中将の娘を切り札にせざるを得なくなるからです。
しかし弘徽殿女御は、梅壺女御(=道真の孫)に○○で負けて皇后にすることに失敗し、次に葵上が産んだ夕霧が雲居雁を姦すことで皇太子妃にすることにも失敗し、左大臣家は没落していくのです。
つまり「菅原道真の怨霊を鎮魂させる物語」とは、「天皇家が無実の菅原道真と娘を生き地獄に落として憤死させ、没落させた作用に対する反作用として、道真は天皇を地獄に堕とし、道真の娘は藤原家の娘を祟り殺し、道真の孫は藤原家の娘に菅原家らしく文芸の絵合で勝って藤原家を没落させて、王者冷泉系の中宮となり栄華を堂々と極めて菅原家を誇りを取り戻し、鎮魂させる。」という物語なのです。以上、この発見と回答は、筆者の世界初の発見と回答でした。
では、『源氏物語』の主題との関連で六条御息所の人物評をすると、どうなるのでしょうか。
菅原家(=右大臣家)を没落させた藤原家(=左大臣家)を父と一緒に没落させ、娘に菅原家再興の道をつけたため、六条御息所は「菅原家再興への思いを父と娘の三人で貫く家族愛溢れる誇り高い女性だ」と言えます。高貴で嫉妬深い女性だ、という貶める人物評は、的外れです。
この先は、主題を把握するため必要な紫式部独自の諷刺手法である「紫の諷刺の力学」と、世界中の読者が求めてきた「千年謎」の回答です。世界初の回答と説明です。
どうぞご覧になってください。
○に漢字を入れてください。クイズとしてお楽しみください。最終回の本稿の(8)で回答します。
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