【953/1096】安全の三段階
「人は安全な時にマジカルなことが起きる」とはポリヴェーガル理論のポージェス博士が繰り返し言っていることであるが、どんな人にも安全感は大切である。
ただ、良く見ていくと、安全には段階がある。
これは、自律神経の理論でも心理学の理論でも同じようなことを言っていて、自分自身も体験的にそうだなと思う。
第一段階の安全は、ノーリスクであるということ。リスクを排除するということである。
「ホッとする」という感覚。
安心としての安全である。
自律神経系では、副交感神経の背側迷走神経群(以下、背側)が使われている。
これは、発達の段階で言えば、乳児期に必要な安全である。
この安全が奪われると、人はトラウマになる。
この第一段階がベースにないと、トラウマの治療は行えない。
防衛が全く解除できないからである。何をやっても凍り付くか虚脱(シャットダウン)してしまう。
そのままだと、呼吸は非常に浅くなり、身体の緊張が解けない。
この段階の安全では「同じだからつながる」という段階だ。
ポリヴェーガル理論では、「安全な不動化(または、恐怖泣き不動化)」と呼んでいる。
不動化は防衛反応ではあるが、社会的つながりの自律神経の腹側迷走神経群(以下、腹側)とブレンドされて使われる(腹側+背側)と安心感につながる。ただ同じ場に一緒にいられるのである。ポージェス博士はこれを「愛」と言う。愛!
セラピストとクライアントが同じ場に一緒にいられるのは、この場をセラピストが形成して、協働調整しているからである。
そうでなければ、トラウマ症状で不動化がしょっちゅう起きている状態の人が、同じ場にただ一緒にいるということは、恐ろしくてできないだろう。境界線が確立されていないからである。まずは、リスクを排斥して、安全を確保し、境界線を引けるようになるのが大事である。
今、現在に安全を確立することで、この段階の安全を育んでいく必要がある。
そこから進んで、第二段階になると、信頼としての安全になる。
リスクがスリルになり、挑戦や享受することが可能になるのはこの段階の安全がある場合である。
生き生きとする感覚、ワクワクする感じ。この段階になると能動的になる。ちがうけどつながれるという段階。
ここは、交感神経が使われる。
腹側+交感神経で、セラピーのトラウマへの介入が可能になる。向き合い、再交渉するというのはチャレンジングな行為なわけで、これは交感神経の働きなしには成しえない。
この腹側+交感神経は、「遊び」である。
遊ぶ、探索する、というのは、この段階でポージェス博士は「自由な可動化」と呼んでいる。
赤ちゃんから幼児期になり、外に出て遊ぶということをし始めるのと同じ。
ただし、最初はいつでも「安全基地(第一段階)」に戻れるから、遊んだり探索したりすることができる。
いったり来たりしながら、自由になっていくのである。
トラウマからの回復で考えると、この段階でワークをし、トラウマと再交渉(書き換え)をし、過去の記憶のパターンを解放していく。つまり過去から自由になるのである。
セラピーはここまでくればいったん終了になる。
安全な日常に戻れた、ということだ。
ちなみに安全なし(腹側)で交感神経に振り切ると闘うか逃げるかの防衛反応が慢性化する。ストレスの状態である。
その場合はやはり第一段階の安全が必要になる。
では、第三段階は?
未来への安全である。新たに発掘されるリスクをチャンスとして活用できる段階である。
社会的関わりを持ち、創造性や、マインドフルネス、コンパッションを発揮できる。自らリスクを引き受け、新たな日常を自らの手で創造する。
自己実現の段階。ちがうから、つながる。本当の意味で、多様性が受け入れられるのはこの段階の人である。
腹側と背側、交感神経を組み合わせて、ゆったりどっしりした自分を確立する。
自分で手に入れる安全であり、自分で選択し、自分の力で切り拓いていく段階である。
つまり、大人として成熟していくということではなかろうかと思う。
防衛反応として使っている、背側と交感神経を、腹側とブレンドさせていくことにより、変容していく。
この三段階はトラウマケアの三段階(安定化→記憶処理→統合と復帰)とも見事に符合している。
しかし、この理論と言うのは、答えではない。
理論の中に、個々人の答えはないのである。
私が通った道は、私だけが通る道であり、私のところでセラピーを受けているクライアントさんは、すべて違う道を通る。
誰一人として同じ道は通らない。
ただし、体験したことを、ああ、こういうことだったなと理解するのに理論は役立つ。
そして、少し先が予測可能だとやってみるという勇気が湧きやすい時にも使えるだろうかなと思う。
そして、防衛反応で生きづらくなってしまっているときに、安全にアクセスするのに、ものすごく便利なものがある。
「呼吸」である。
呼吸を深く、穏やかに安定させれば、この安全が手に入る。
息を守る、というのはそういうことである。
だから、いつもいつも、息。
息がどうなっているか?それが大事。
では、また。