義務感から動くと恨みの気持ちがうまれる
ある方のnoteで「ずっと正しく生きてるけど、正しさには我慢が伴うから、ずっとしんどい」というお話があり、めっちゃわかる、ってなりました。
私も長い間、いわゆる清く正しく美しく、自分を律して生きてきました。それは、教育を受けたから、そのように振る舞うと親が喜んだから、というのもあるけれど、「清く正しく美しくないと居場所がない」と信じていたからです。
難関大学に入ったり、有名企業に勤めたり、公務員になったりしました。「私は良い感じで生きている」と思っていました。実際、いろんな人に羨ましがられる機会がありました。羨ましがられることは当時の私にとってご褒美でしたが、なんとなく、それでは埋まらない不満が常にありました。
私は、本心ではやりたくない仕事をしているから不満、というずっと手前のところで、何をすれば良いのかわからないから、とりあえず正しそうなことをやっている状態に、腹が立っていたのだと思います。誰も何も強制していないのに、正しそうなことをうっすら我慢しながら続け、やらされ感を自分でつくり、月曜からストロングゼロを飲んだりしてた。正しさに頼らないで道を決め直すことは、責任が発生するし、優等生の自分が消えちゃうから、選びませんでした。
後に、ぜんぶ自由だったとして、何をしたい?何をしたくない?今の自分にはどんなものが合うか?内側と答え合わせをしていったら、たとえ一般的には不正解すぎても、自分が納得している限り居場所はなくならない、と学びました。私は公務員を辞め、親を着信拒否にしました。親はなんか、娘との絆を確認したい欲・安心したい欲がすごくて。私はそれに応えることが娘として正しいことだと思って頑張ってきたけど、限界がきたので距離を取りました。理想の家族イメージの奴隷になるくらいなら、恩知らずの人でなしでいたほうが、私の場合はしっくりきます。