論語と算盤
論語と算盤を読んで。
渋沢栄一のような現代人がいたらカッコいいのに。お金儲けと宗教、といった、一見矛盾や相反する物事をバランスよく、かつ、突き詰めていた人の説く「勉強し続けることの大切さ」は身にしみる。
渋沢 栄一
感想
1840-1931という生涯の中で生み出された金言は、現代において日本に生まれ育ったら知らなければならない歴史の一つであると思った。
今や、考えずとも生活が成り立つ世の中は便利で溢れていて、渋沢栄一が築き上げた時代に生まれた物事をベースに生きている。
これは日本がいかに恵まれているか、先代の成し得た結果であることをもう少しありがたいと思わないといけないと感じさせられた。
昔の人は勉強している。それは少数なのかもしれないけれど、バイタリティ溢れる人は学んでいる。違う階級の人達も、それぞれの世界で学んでいる。この「一生懸命」形作ってきた世代は今の世の中をどう思うのか?
衣食住に不自由なく、スマホさえあれば24時間が便利に過ごせる。欲しいものはすぐに手に入る。見たいものはすぐ見られる。「待つ」という感覚や「我慢する」という感覚、「考える」という感覚を、便利と引き換えに失っているのだと思う。
新たな時代となり情報化社会への適応を求められる昨今、どのように振る舞えば良いのか?渋沢栄一が今の時代に生きていたとしたら何をするのだろうか?時代を乗りこなして、数多くの会社に携わっているのだろうか?
どの時代に生きるにせよ、古典を学ぶことは大切だと思った。論語にせよ、時代が変わろうとも、言わんとすることが手に取るように分かるのは、物事の本質は変わっていないから。手仕事から機械仕事へと変化するのとは別で、宗教的な考えや道徳的観念は変わらない。例えば経済的な外側の変化が強ければ強いほど、内側にも影響がくる。その内側を持ち合わせる信念で対峙すれば自分がブレれることがない。
現代は一見、安定的に見えているからこそ、内面がボロボロになっているような気がする。そういった意味で、変なイメージを持ちやすいけれど、自分の信仰を持つとか、心の拠り所を持つことの大切さを知ることができた。
最後のプライベートでのだらしなさの暴露が、先の8割ほどの話がストイックでかっこいいと思ってしまった反動でショック。「人間味」でおさまっているのも時代。
あーだーこーだ悩まず、ストイックに勉強と自分の信念を持つことを追求していこう。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?