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[俳句編] 2024年ファイルしておきたい記事

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勉強になったり、読んで面白かった俳句関係の記事をファイル代わりに集めました。勝手に集めてしまい、ご迷惑でしたらご一報いただければ、外します。
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記事一覧

詩の読み方

 はじめに  ブロードウェイ・ブギウギこと櫻井天上火です。最近、5年使っていたTwitterのアイコンを変えました。  ぼくは俳句や短歌、短詩を〈なりわい〉としています。仕事には繋がっていませんが、俳句では大きめの賞も獲りました。  ですが 「なんかよくわからない順番で単語が並んでいるやつ」 詩を読まないみなさんが詩にもっている印象は、そんなところではないでしょうか。  詩とはなにか  実際、平たく言えば、詩は「日常的な言葉遣いから遠く離れてなにかを言い表してみ

近代俳句をざっくり知る年表

近代俳句から前衛俳句へ:略年表 1897:子規『ホトトギス』創刊、近代俳句の成立 1902:子規死去、碧梧桐が新聞日本の選者に 1905:碧梧桐、新傾向俳句へ(俳諧革新を継承) 1911:碧門の井泉水ら、新傾向俳句誌『層雲』創刊 1913:虚子、対碧梧桐のために俳壇に復帰「春風や闘志抱きて丘に立つ」(子規の俳諧革新の批判的継承) ⭐︎碧梧桐(季語不要・自由律)⇔虚子(伝統) 1928:ホトトギス門の秋桜子が反保守化、主観叙情の『馬酔木』創刊、誓子、窓秋、禅寺洞(無季)、草城

第70回「角川俳句賞」を読む。

今回も、じっくりと拝読の、角川俳句賞・入賞作品。 個性豊かであるからこそ、読み手の個性によって、解釈もさまざまと思いつつ、私目線の選句、鑑賞は以下のとおり。 角川俳句賞 『熊ン蜂』 若杉朋哉氏好きな句、気になる句十五句。(*特に好きな句) 若杉氏の『熊ン蜂』の最大の特徴は、そのほとんどが一物仕立ての句、であるこということ。 私の十五選句も、一句を除いては一物仕立てである。 俳句初心者にとっては、非常に難しい一物仕立て。季語そのものをじっくりと観察、その上で、独自の新しい

俳句のいさらゐ ⪦⁜⪧ 松尾芭蕉『奥の細道』その三十九。「秋涼し手毎にむけや瓜茄子」

芭蕉が金沢で詠んだ俳句を取り上げる。 ① 塚も動け我泣声は秋の風 この俳句は、芭蕉の金沢の門人一笑への追悼である。 そして、それに続くのが ② 秋涼し手毎にむけや瓜茄子 である。今回はこちらの俳句の解釈記事。 以下①②として表記する。 ひとつの疑問がある。 この両句に連続性があるのかないのか ということだ。②の前書きには、「ある草庵にいざなはれて」とあるだけで、読者には、背景はわからない。 ①の俳句が、金沢へ来て知った期待の門人一笑の若すぎる死を嘆くものであるのに対し、②

シン・俳句レッスン164

現代俳句 いまさら俳句第十回 「専務理事暴走、若手が気になる7句を語る」 ゲスト:黒岩徳将 この動画面白かった。若手が好きな7句(ベテラン4句、若手3句)を二人で批評するのだが、まったくわからないと言ったり、なるほどと思ったり。 俳句による経験値が直感に繋がるというのは、昨日の句会でも感じたことだった。多分この二人の俳句による経験値の読みと自分が持つ違和感もあった。 でも青年部が49歳以下というのも驚きだった。中年部かよと思ってしまう。それでも311人しかいないのか

言葉の厳密性について

『高浜虚子 俳句の力』岸本尚毅 今まで虚子をイメージしていたのは随分と違った。岸本直樹は理論家だけどわかりやすい。虚子は虚無の子という意味だと筆者はいい、虚子の句から醸し出される虚無的な余白のある句を指摘する。ただ虚子の主張そのものよりも虚子の俳句を解釈していくことで虚子の主張を読み取ろうとする。けっこう虚子の主張に矛盾があり、どうなのかと思うのだ。そういう論争をしないのが大人の態度だというのだが、言葉を扱っている以上それはないと思う。てにをはとか厳密性を指摘するのに差別用

口語句集『花見』 しゃべり言葉の作品と解説 ②

俳句にご興味のあるnoteのみなさまに俳句の様々なことについてご紹介していく記事です 口語句集『花見』 しゃべり言葉の作品と解説 ② 昨夜につづき、第2回目です 今回も下記の口語句集から、 作品5句と、その季語、句の意味をごく短く記してご紹介したいと思います。 ふだんしゃべるような言葉でつくった句になります。 俳句の自句自解に対しては様々な見解があるようですが個人的な考えで行うことにします。 よろしければ楽しんでいってください 口語句集『花見』 〜しゃべり言葉

シン・俳句レッスン163

『「俳句」百年の問い』夏石番矢 「無中心」という新しい時空(河東碧梧桐) 碧梧桐は正岡子規に反することをしたように思われ勝ちだが虚子よりも写生にこだわっていた。ただ自然を観察するとそこに多様性があり、自己のような中心がないと主張する。山歩きなど自然のなかを俳諧することを好んだ。この傾向は、井泉水から自由律の尾崎放哉や山頭火に受け継がれていく。 目の驚嘆(P=L.クーシュー) クーシューはB.H.チェンバレンの俳句をさらに理論的に説明し、世界に拡散人であった。俳句を短

俳句の何が私たちを救うのか

仁平勝の「心のオアシス」と高浜虚子の「極楽の文学」 角川「俳句」令和6年4月号にて、仁平勝がこんなことを述べている。桑原武夫の俳句批判が的を射ていないことを指摘する文脈である。 そんな「反近代」の性質を持つ俳句がなぜ現代も息づいているかという問いに対して、仁平は「私たちの心の中に、ひたすら便利さを追求してきた「近代」への抵抗があるからだ」(同上)と述べる。仁平によれば、現代を生きる私たちが抱える苦しみに対して、わずか十七音によって詩をつむぐ俳句という古典的文芸は、「心の

秀句を選ぶ人の枠外は凡句?

『俳句 2024年5月号』 秀句と凡句の違い 『俳句 2024年5月号』から「大特集 秀句と凡句の違い」。特集が気になって借りたのだがまったく理解出来ないでいる。説明の仕方がよくわからない。 最初に「技法のみあらず」ということで、直感的な感性論みたいなことを言うのだが、そこがわからないから違いを知りたいのである。だいたい精神論じみたことを書いている。やっぱ知りたいのは技術論なのである。 「虚実」とか「余白」とかわかるようでわからない。それはどこを「虚実」と感じたり「余

座談会「兜太作品の原点を語る -第一句集『少年』・第二句集『金子兜太句集』を中心に-」を聞いてきた

10月26日、山梨県立文学館で開催された座談会「兜太作品の原点を語る -第一句集『少年』・第二句集『金子兜太句集』を中心に-」に参加してきました。これは山梨県立文学館で開催されている企画展「開館35周年記念企画展 金子兜太展 しかし日暮れを急がない」に連動した座談会。 座談会には、高野ムツオさん、髙山れおなさん、佐藤文香さんの3者が参加。バラバラの世代からみる、金子兜太の句のあり方や鑑賞などを拝聴でき、とても貴重な時間でした。 高野ムツオさんは、一番そばで金子兜太を見てきた

人を殺めし人の真心草茂る

『棺一基 大道寺将司全句集』 同じ死刑囚でも坂口弘の短歌と大道寺将司の俳句は違う。それは短歌と俳句の形式的な違いだろうか?と思った。坂口弘の花は献花として他者(死者)に対する短歌の言葉としての花なのだが、大道寺将司の花は自身を託す枯尾花とか破蓮なのだ。それ以上に虫の句が多い。俳句の季語がそれらの言葉の題詠として機能するからだろうか。編者の辺見庸のあとがきに無季の句と季語の句として という句の解釈で「出面」は日雇い人夫の給料で、この「ちんちろりん」がサイコロ賭博なので、そこ

シン・俳句レッスン159

NHK俳句(テキスト) 俳句パズル 普段はパズルなんかやらないのだが、季語の練習らしくやってみることに。ただ15日締め切りで答えが出ても応募できなかった。下にヒントの言葉があるので案外簡単そうだ。のぎくやよ。違うな。難しい。 鴇田智哉誌上添削教室 自動詞と他動詞との違いについて、他動詞の句を自動詞にすることで発想を変えるという、けっこう高等テクニックだと思う。 「混ぜ合わす」が他動詞ということだ。つまりこれは写生の句で光が混ぜ合っているということを言っているのかも

攝津幸彦選集を読む④

第五句集「『鸚母集』抄」(1986年発行)、第六句集「『陸々集』抄」(1992年発行)抄本ということもあるのですが、序文やあとがきはありませんでした。 印象に残った句を以下に挙げます。 「陸々集」には、攝津の代表作としてよく挙げられる、 も収められています。 前作、前々作の句集に比べると、言葉遊びのような句がだいぶ減っていて、全体としてのトーンが、端正な表情を浮かべている句が多いなという印象を持ちました。また季語の質感も、以前の作品に比べると、季語として詠まれている感