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大好きと大嫌いは限りなく似ている

今日は尾崎世界観の連載を総集した「苦汁100%」を読んだ。借りっぱなしだったので早く読まなきゃと思って読んだ。中学生の頃初めて買ったCDはクリープハイプのファーストアルバム。本を読んで、ますます尾崎世界観の紡ぐ言葉に魅了された。ああこういう風に喩えるなんて私には絶対に出来ない、こんなに正直に心の中の黒いドロドロした部分を吐いたりできない。こんな言葉がどこから出てくるのだろうと羨ましい気持ちにもなった。(と、同時になんかいつも怒ってたり悔しがってたり大変そうだなとも思った、ゴメンなさい)

負の感情を素直に言葉に出来る人はかっこいい。弱い部分を曝け出せる人は本当に強く、他人の痛みが分かる人だと思う。

クリープの曲で最近いいなと思った歌詞、

「あたしのアップの写真を送るから お腹が空いたらチンして食べてね 中学生がタバコを吸っているのを見ると  何故かあなたのこと思い出すんだよ」

チロルとポルノという曲だが、歌詞からあたしとあなたがどういう人物・関係性・気持ちなのかがなんとなくわかるような気がして、なんとなく切なくなる。あたしはあなたのことが好きだから、アップの写真を送る。あたしのことを見てもらいたいとおもう。でもそのあなたはきっと、少し悪い部分も持っているのだろう(女癖が悪いとかギャンブルするとか酒癖悪いとかそういう類のやつなのかな)


クリープハイプがなぜ好きなのか、それはどうしようもなく誰かを愛したり、苦しかったり、辛かったり、痛かったり。
人間らしいありのままの感情を彼なりの言葉遊びや喩えを含めて素直に吐き出しているところにあるからだと思った。なんとなくわかるようでわからないような、絶妙な感情。登場人物の心の中を半分に割って覗くような気持ちになり、胸が苦しくなる。

大好きと大嫌いは限りなく似ている、苦汁100%にはそんな一節があった。相手の事を思う気持ちが強いほど、憎しみとか苛立ちとか正反対の感情がわーっと湧き上がってくる。大事でかけがえのないものだからこそ怒るし、むかつくし、何でなんだと悲しくなる。大好きだって永遠じゃないかもしれない。もちろんずっと大好きな人とかものもあるけれど、年月が過ぎれば変わっていくし、記憶から遠ざかっていくものもある。切ないけど仕方がない。

だからこそ大好きに向き合って、大っ嫌いになるかもしれない大好きなものを大好きだと言い続けたい。大っ嫌いな人も大好きになるかもしれないし、逆もあるかもしれない。でも、今の瞬間の自分の感情を素直に吐いて吐いて吐いて、吐き続けられるような人でありたいと思った。

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