いい加減で生きられない人の歩き方2
色んなことを考え続けてしまう自分については、わりと気に入っている。けど一方で、それが苦しみの元なんだというのも分かっている。
描き子さんのすごいところは、私のような人間の「止まらない思考を止めようと思って止められるなら苦労しないよ」というところまで、面倒をみてくれるところ。
止まらない思考は、「止めようと思う」んじゃなくて、止めさえすればよかったんだ。そもそも、考えるとか、思考とか呼ばれるものは、単に人間の頭の中で行われていること。考え続けたい場合は考え続ける、止めたい時は止める、ただそれだけで良かったんだ。
とはいえ、考えすぎたり、言葉や思考をこねくり回さない自分になろうとするのは、自分じゃない人間になろうとするようなものだ、という気もする。まずは、止めたい時だけ、ただ止めたらどうかなと思った。
描き子さんだって何も、ゼロヒャクの白黒思考で、考える人間から考えない人間に生まれ変わったというわけじゃない。もしそうなら、考えすぎていた過去の自分について分析したnote記事を生み出せていないと思う。
「あの時ああすれば」と考え始めたら、意識的に「あぁ、自分また考えてる」と考えることにしよう。
「嫌われてるかもループ」から「嫌われてるなんてことは気にするべきじゃないんだループ」に移行しても根本的な解決にはならない、という指摘も、目からウロコだった。
一時的に「繊細で、気にしぃな自分も好きになろう!」と考えてみたところで、やっぱり苦しい時は苦しいし、考え過ぎてしまう自分が嫌になる時は、いつか訪れる。
だったら、苦しい時や嫌な時は、ただ考えるのを止めよう。考える時は考える。自分が延々と悩みたいから悩むんだし、色んな人や事情に思いを馳せてしまう自分が好きだから、思いを馳せるだけ。
ある意味これって、マインドフルネス瞑想と同じことかもしれない。マインドフルネスとは、2年前、リワークプログラムでも少し触れたことのある「今ここに集中する」という考え方のこと。
暗いことを考え始めたら「まーた暗くなってるや、自分」と考える。ここでは、考え過ぎる自分はダメだとか、考え過ぎる自分でもいいんだ、なんてことは考えない。良し悪しの判断はつけない。ただ、暗いこと考えてるな〜と考える。
言うは易く行うは難しと思いつつ、確かに思考に自分が乗っ取られる状態が続くと、生活が成り立たなくなるので、ほどほどにしたいところ。
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