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「好きを仕事にする」にあこがれていた自分へ
過去の自分へ。好きを仕事にする覚悟はあるのか?
僕はアニメが大好きで、趣味だった。
でも、仕事として書くうちに、アニメが100%好きとは言い切れない瞬間が出てきた。楽しいことだけでなく、つらいこともあるから。
自分の仕事について知っている人に「アニメが趣味」とはもう言えないなと思った。
そして、そのときようやくアニメが「趣味」から「仕事」に変わったと自覚した。
原稿料をいただいて書いているのに、いまさら自覚するなんて意識がたりないのかもしれない。
ただ、仕事で原稿を書いている間にも、いまだにアニメを趣味として楽しみたい自分がいた。
中途半端で、はっきりいうと生半可。だからこうやって悩むんだと思う。
好きを仕事にするのは、一長一短だ。僕みたいに好きなものが完全に好きといえなくなるのは、デメリットといえる。
エンタメライターの方のインタビューが載っている本に、「アニメが趣味じゃなくなった」という一文があった。
そのときはまだ理解できなかった。でも、今ならわかる。
好きを仕事にするのは、覚悟が必要だと思う。好きなものが好きじゃなくなるかもしれないし、純粋に楽しめなくなるかもしれない。
この喪失感にも近い感情と、仕事と割り切れない自分への煮え切らなさ。
アニメ、ドラマ、漫画、映画……好きなものについて書いているほかのライターさんはどうやって乗り越えているんだろう? それとも、案外みんな同じように悩んでいるのかな。
過去の自分へ。好きを仕事にするのは楽しい。
なかなか取りかかれなかった原稿でも、いざ書き始めると楽しい。面白いアニメを観て、自分の考えや気づきを文章で表現するのも楽しい。好きを仕事にできる大きな充実感と幸福感。
お仕事をいただけるのはすごくありがたいし、もっと書きたいと思う。
ただ、それと同じくらい悩みもできた。アニメはもう趣味じゃない。向き合い方が変わったから。
昔、好きを仕事にしている人がキラキラして見えた。ただ、キラキラして見える人も、きっとキラキラした一面だけじゃない。
「なにかを得るには、同等の代価が必要だ」とあるアニメで言っていた。
好きを仕事にするのは楽しいし、幸せだ。だけど、失うものもある。
それを受け入れる覚悟は、あるか?