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59 「鷹の視点」「雀の視点」

久しぶりの雨に包まれた日。傘の出番が極端に少ない私も、こんな日はお気に入りの傘を持ってお出かけする。鮮やかなグリーンとイエローのリバティプリント。それにバンブー素材の柄(え)。
見た目の他にお気に入りなところがもう一つある。それは「音♪」。
雨を受け止めた時の音がごきげんなのだ♡
私なりに言語化すると、、
☔ベン♫ ベベン♪☔ ベンベン♪♬♪☔ 
☔トトロの気分٩( ᐛ )و♥
よく置き忘れてしまうのになぜかいつも必ず私の手元に戻って来る子😃🌂✨いつもありがと☔

目がテン♡ ココロも弾む雨の音♬

週間予報に傘マークが並んだ数日間。
あれは2月のことだった。
ぽっかりと曇り予報に変わった日、季節外れで気温も高め。この日、折りたたみ傘をリュックに忍ばせお気に入りのニット帽と薄めのダウンコートで歩いていると、すぐにカラダがぽっぽしてきた。

長靴を履いた日、水たまりを探して歩いた。

交差点での信号待ち。
目の前を横切る一人の女性。
レースをあしらった可愛らしい黒のポシェットに目を奪われる。フォーカスする視線を、何気なく全身へと拡げていくと、、その女性は黒い日傘、黒い手袋、黒いサングラス、黒いワンピース、黒いタイツに黒い靴。どーやら法事ではなさそう。。
アイテムはすべてカワイイのに2月の曇り空にしては完全防備の姿にやや仰天した。
勿論、少しでも太陽に当たると症状が出るようなご病気が存在すると聞いたことがあるから、その可能性はあるけれど…、今回はそーゆー話ではなく……。
それとは別のところで、私はこの女性の姿に「過去の自分」を見つけた。

春先から日焼け止めと日傘、夏本番になるとアームカバー。野外でのレジャーを避け、日陰を好んだ。
私にとって太陽は敵だった。
日焼けすると赤いプツプツができると思い込んでたから実際にできた。使っていた日焼け止めは、無くなる前に必ず急いで買い足した。太陽からの攻撃を少しでも回避するため、洗濯物は素早く取り込んだ。太陽がキライだったから、屋外に長くいるとすごく疲れた。

でも、そんなだった私の意識は180度変わった。
数年前のこと。
使用感の悪さと粗悪な原料による身体への弊害を
認識し日焼け止めの使用を一切やめた。
カラダには何も塗らず、それまでのメイク用品を一掃し、一年を通してミネラルパウダーのみで済ませた。カンカン照りの日だけは日傘をさし、曇りの日は帽子を被り手ぶらで歩いた。真夏でも汗をかけなかった体質から一転、汗ばむ肌に洋服が貼りつくことさえ感動的に思える自分がいた。

起床後ベランダに出てひなたぼっこを習慣にした。
そうしていたら、曇りの日でも私がベランダに出た瞬間、待ってましたとばかりに太陽が顔を出してくれるようになった。
太陽は私の味方だと分かった😌

雨の日もたのしみがいっぱいあるのだ🌼

意識が変化すると、赤いプツプツなんてできなくなった。それに私の外出時間と頻度ではそもそも日焼けなんてしなかった。むしろ、メイクも思考と同じく、引き算すればするほど肌が生き生きとしてきて血色が良くなった。
太陽の熱い視線⛅も、お空の涙☔✨も、モフモフの綿菓子☁もこの世界に存在しているものは「すべてが愛なのだ」と分かった。♡


「太陽がキライ」の話で思い出した。
ある物や、ある人が「キライ」な場合、それはこーゆことかもしれない。
それについて「よく知らない」か「好きの裏返し」か「偏った観念で見ている」か。
まさに以前の私。
特に人に感じる「キライ」は分かりやすい。私としてはだいたい以下の二つで考えることにしてる。

まず一つ目。通常「キライな人」に映る姿は自分の中にあって受け入れられない部分であったり手放せない感情や観念。だから、“キライな人=自分の姿”だと気づき、それを受け入れるといい。
もう一つは、“自分は雀の視点で、相手は鷹の視点なのかもしれない”ということ。
要は、いつだって自分を一度疑ってみて問いかけてみるといい。“私がおかしいのかな。間違ってるのかな。どーゆー意味があるのかな”って。
「理解できない=キライ」と曲解している場合は多い。飛行している高度が違いすぎるから雀は鷹の見ている景色は拝めない。(←ちなみに鷹は雀の景色を知っているから理解はできる)
雀は、その共有できない感覚を“キライ”だと取り違えていることがある。というよりそのようにしか認識できない。

鷹の視点の人は、時に雀と共に低空飛行することも可能なのである。ただ、雀と一緒ではいつもの高度で飛行することは叶わないと鷹は知っている。だから、自分と同じ高度に無理やり連れて行こうとしない。つまり鷹は飛行領域を無理に変えさせたりすることもなければ、そもそも「自分は鷹だ」と名乗ることもない。

雀からすると“この鳥は何者!?”と感じる程度。そして「いつもどこ飛んでるのか教えてくれてもいいじゃん😒」とか「どーやったら鷹になれるのか教えてよ😳ケチ!」とか思ったりする。
私は、自分も鷹だと思い込んで“一緒に気持ち良く飛んでるんだ”と思っていたら、先にお話したように「鷹が高度を下げてくれている」だけだったことがある。
つまり、一緒に居て心地よく感じる相手が同じ波動かと言うと、そうじゃない時も多いのだ😓
でもある時、鷹の景色は鷹になれば見れるんだなーとあまり意識しないほうがいいと気づいた。

それに、例えば
・鷹とだけお近づきになりたい
・雀から学ぶものはない
・あの鳥はカラスだと思う
・自分は飛べない鳥だ
…とジャッジしたり優劣をつけたりしている時、必ずその偏った視点を知らせてくれる鳥が何羽か目の前にいる。もしかするとその鳥は生まれたばかりの雀かもしれない。
だから、“すべての鳥から学んでみよう”という気持ちで思う存分バサバサ羽ばたく😳そーゆー視点に立ったほうが色んな意味でお得である。
キライな人が周囲にいるというのは貴重。
学び切ると、あら不思議😃
その鳥が正体を明かしてくれたり、仲間だと分かったり、サッと消えていなくなったりする。

ちなみに、そーゆー鷹だってアネハヅルの景色に関しては未知なのだ。でもみんなトリ。
それに「高み」だけを体験するなら飛行機に乗ればいい。←急に文明の利器✈️✨
でもご存知の通り、窓からの景色はあらゆるものがはっきり見えないし、窓枠以上の視界は与えられない。
何より大切なのは視野・視点
よく言われる「高次元」や「高波動」の“高”って、
単純に高さを表しているのではなく、多次元的にモノを捉えるという“広範囲”という意味だと思う。
つまり、まあるく意識を拡げた結果が高次元。
でも、高い低いという言葉に引っ張られることなく何事も自分に問うてみるのが早い。
結局私たちが住んでいるのは地球で、空は海より広い。

🐰「凧もいいけど、うさ子、トリになるっ!!」

Ayumi☽


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