遺しておきたい20分の1
タイムリミットは無情にも迫る。時間は誰にでも平等に流れて、とめどなく季節を次へ次へと進めていく。気がつけば蝉の声はすっかり鳴りを潜め、代わりに空の雲が高く薄くなってきている。
秋だ、散歩だ、コスモスだ!と外へ繰り出す日が増えた。極端に暑かったり寒かったりする季節はどうしてもこもりがちになってしまうから、春と秋は好きだ。中でも秋はいっとう好きだ。絵画みたいな雲と彼岸花やコスモス、紅葉の鮮やかさ。それらを目にするとわくわくする。ずっと秋でいいのに、と思う。
だけどそうはいかないことも私は知っている。秋を感じるとき、同時に冬の香りもする。秋は冬の序章みたいなもので、ちょっと涼しくなったかと思えばあっという間に気温が下がって、雪が降り、一年が幕を閉じる。そうなればあとは卒業だ、せっかく見つけたコスモススポットとも、星のよく見える住宅地の穴場ともお別れしなきゃいけない。
人生が80年だとしても、大学生としての4年間はほんの20分の1にすぎない。それでもこの4年という時間は人生の中でも特別だと思う。そこには義務教育の9年間、高校の3年間ともまた違った密度がある、私はそう感じている。いつか薄れてしまうであろうこの感覚や記憶は、今にしかない。だからこそ残したい、と最近は強く思う。
流行病の影響で本来の大学生活は思うように送れなかったかもしれない。だとしてもこの4年間を生きた証を、今ここにいる等身大の私を、刻んでおくことに意味はあるはずだ。そして願わくばただネットの海に流すんじゃなくて、きちんとこの現実世界に存在する形として。
久しぶりに寄ったスタバでフラペチーノを頼んで、ぽかぽかとした芝生の上に座り込んだ。このあたりでは有名な、大きくて綺麗な公園だ。
公園は犬の散歩をする人とよちよち歩きの子供を連れた母親たちで賑わっている。いろんな人たちが空の下に開放されていて、一人でもなんだか安心する。子供たちのはしゃぐ声をBGMに、私は木陰で本を開いた。
具体的にどうするかはまだ定まっていなくて、頭の中で妄想がふくらむばかり。プロフィールにもある「物語と思考と何気ない日常」を詰め込んだものがいい。大学生の私に作れるものってなんだろう、とずっと考えている。
自己満足でも構わないから、私は大学時代にこの場所で何かをした、という達成感が欲しい。それこそが、私がここで学生生活を送ったという証になると思うから。今しか見られない景色を心に焼きつけて、さよならしたい。
本から顔を上げ周りの景色に目をやったら、急に明るくなったせいで視界がちかちかと瞬く。忘れてしまわないうちにとメモを取りだし、たった今感じたことをそのまま文字に書き起こした。ひんやりとした風が、頬のすぐ側を通り抜けていった。