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自分の眼鏡の色とは~自分が見ている世界は唯一無二であると考える理由~

今日もお疲れ様です(^^♪
今回もnote始めていきましょう‼

今日のテーマは『自分の眼鏡の色』です。

皆さんがかけている眼鏡は、どのような色でしょうか?

え?わたし眼鏡かけてないですよ?という方。
いえ・・・かけています。心の眼鏡を。
っていうと、・・・あれ?この人おかしくなった?と思われるかもしれませんが・・・心の眼鏡です(^-^;

色眼鏡

色眼鏡という言葉をご存じでしょうか。
辞書で調べると、

比喩的に、物事をすなおに見ずに、先入観・偏見をもって見ること。

Oxford Languages

と言った意味で書かれていますが、
むしろ、先入観や偏見が無い人っているのでしょうか?

これは日本人だけの問題ではありません。
スケールを大きくして人類という枠で見ていくと、
私たちが思い描くアメリカ人と、アメリカ人が思い描くアメリカ人は違うと思うんですね。

私たちがざっくりアメリカ人に対して思い浮かべる印象は、
感情をストレートに表し、気が強い、気さく、
フレンドリーで陽気な人が多い、

そんな所でしょうか。

しかし、これはいわゆるステレオタイプであって、先入観であって、偏見
もちろん、そうでない人だって相当数いるといっても不思議ではないでしょう。むしろ相当数いないほうが不自然です。

私たちが過ごすコミュニティー内のメンバーでさえ、その人に抱く印象は、また違う人に聞けば違う印象を答えるでしょうし、要は、全く同じ『その人』を構築するということは困難だということです。

同じものでもインプットと認識が違う

なぜかというと、目の前の『その人』でさえ、全ての人へのふるまいが共通していることは限らないからです。
こちらが見ることで目に入ってくる『その人』を構成するための素材が見る人によって違うことに加え、それぞれの人の前で違う素材になってしまうのであれば、同じ『その人』には、もはやなり得ないのは明確ですよね。

そのように、インプットされる情報自体が違うということに加え、認識するソフトが違うという2つの相違点がある時点で、1つのものに対する認識でも、”同じ”になるということはあり得ないんですね。
そもそも1人の人が見ている世界というのは唯一無二なんじゃないかということです。

と考えると、正に私たちは色眼鏡でものを見ているんだと思いますが、目の前の『それ』が発する情報さえ、1人1人に対して違う情報を発信している可能性があるんだとしたら、そもそもステレオタイプというのは一種の思考停止と同意であり、私たちが目の前のものを発信して、やり取りをして、整合性を高めるということは重要な作業であるような気もしてきます。

もう一度問いたいと思います。

皆さんがかけている眼鏡は、どのような色でしょうか?

今回は『自分の眼鏡の色とは~自分が見ている世界は唯一無二であると考える理由~』について書かせていただきました。

また、あしたね(^^)/~~~

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