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世界は自分が見ようとしているもの達でできている~『自分はこう思う』が大事~

自分に見えている世界

物語として目で見えているものは、
時としてそこに隠されたものを協調するために、
真逆の情景を描く場合があります。

とても”哀しい”物語を見せつつも、
その裏にある愛情を描いているとき。

”別れ”を描きつつも、
そこにある友情を描いているとき。

でもそれは物語を見ているうちは、
目の前のものしか見えません。
”その裏”は見ようとしないと見えませんし、
感じようとしないと感じ得ません。

世界は自分が見ようとした物語でできている

それは私たちの実生活も一緒。
自分に対して向けられた行為を解釈するのは、
いつだって自分。

目の前の人の心の中は、
どうやったって分かりっこありません。
私たちにわかるのは目に見えている世界。
心のなかは誰にもわからないからです。

目の前の人は褒めようとしていたとしても、
”からかわれている”と解釈してしまえばそうなります。
目の前の人は助けようとしてくれていたとしても、
それに全く気付かなければ、
現象としては何も起こっていなかったことと同じ。

脳内が知覚していることは、知覚しようとしたから

脳内で知覚されるものは、知覚しようとしたもので、
始めからそこに意識が向いているという事が必要です。
つまり『見ようとしている』という事が必要です。
能動性が知覚には重要というエビデンスがあるほど。

私の専門はリハビリテーションですが、
実際にその人がリハビリに能動的に向かっているかというのは、
結果にとても大きく影響しています。

つまり、
”これは効果がある”と思ってやることは、
”全く効果がない”と思ってやるよりも、
実際に効果に違いが出る傾向があるという事です。
もちろん前者の方が効果が出ています。
気持ちは行動と結果に現れるという事です。

今日出会った人たちの服を覚えてる?

どうでしょうか。
もちろん覚えていないですよね?汗

他にも、
今日テレビで見た芸能人、アナウンサーさんが着ていた服を
覚えていますか?
どんなにおしゃれな服を着ていたとしても、
自分が見ようとしていないものに関しては、
ほとんど記憶には残らない。

知覚していないものは、
蓄積されないという事です。

だからこそ『自分はこう思う』が大事

だと、思っています。
理論的には、見ている世界はほぼすべての人が違います。
約73億通り。
それが、近しいモノ、特にインフルエンサーが発信しているものが自分の感覚に近いと判断されたときに”共感”が生じると思っていますが、
100%同じというのはほとんどなくて、
そこと比べたときの、誤差、
つまり『自分の感覚』を言葉にできるって大事なんじゃないかなあと感じています。

今回は『世界は自分が見ようとしているもの達でできている~『自分はこう思う』が大事~』について書かせていただきました。

また、あしたね(^^)/~~~

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