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【当たり前】は“価値”を隠す魔法の言葉 ~死ぬこと以外【有難い】~

こんにちは。ryosukeです。
リハビリテーション専門職として、
患者さんや対象者さんの身体の回復に対するサポートについて考える仕事をしています。

今回は「当たり前は“価値”を隠す魔法の言葉~有難いは価値を露呈させる魔法の言葉~」についてシェアしていきたいと思います。

「有難い」と「当たり前」

「有難い」は、滅多にないこと、珍しく貴重なことという意味でつかわれる言葉で、人の好意などに対して用いられるときには、感謝を表す言葉です。

その反対に、「当たり前」という言葉があります。
普通のこと、ありふれていること。という意味だと解釈していますが、
生活で考えたときに、毎朝目覚めること、食事ができること。息ができること・・・
これは普段、ありふれていて意識をすることではないですね。
これは人によって違うことだと思います。

「健康」は当たり前?

私は急性期病院の勤務で、
命と隣り合わせの現場に遭遇します。
その場には一切、「当たり前」がありません。
先ほどまで「当たり前」だと思っていたことが、今そうではなくなっている。そうなったときに初めてそれが「当たり前」で無かったことに気づきます。

本当にたくさんの方が「健康」を当たり前だと思っています。
毎日、お酒を飲んで、タバコを吸って、偏食して、夜遅くまで寝ずに働いて、・・・身体を積極的に壊しています。

そのように、「当たり前」は、それらの価値を隠してしまう魔法の言葉です。その「当たり前」が取れたときに、隠れていた価値が見えてきます。
毎日目が覚めること。

御飯があること。

自分で食べられること。

歩けること。

呼吸ができること。

誰かと話せること・・・

数えたらきりがありません。

しかし、それらには共通点があります。

「生きていること」

そう考えると、

唯一、「当たり前」があるとしたら、この命が終わることでしょうか。

死ぬこと以外「有難い」。

今回は、cherabbyさんに写真を提供いただきました。”生きている躍動感”で選ばせていただきました。ありがとうございました。

今回もご覧いただき有難いです。

それでは、また明日(^^♪

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