『何を言うかよりも、誰が言うかの方が重要』という意見から見えること~自分は自分、他人は他人~
こんにちは、
今日も1日お疲れ様です‼
ryosuke matsusimaです(^^♪
今回も早速、今日のnoteを始めていきたいと思います(^^)/
今回のテーマは『「何を言うかよりも、誰が言うかの方が重要」という意見からみえること』です。
説得力の源泉
同じことを言っていても、知らないおじさんが言うよりも、イチローさんや本田圭佑さんが言っていた方が説得力があるよな~というのは、何となく想像できますよね。
身近なところでいえば、そんなに親しくないクラスメイトが言っているよりも、尊敬している先生が言っているほうが、同じ言葉でも納得しちゃうと思うんです。
それはきっと、自分が信用しているもの、人というのが影響していると思っていて、極端な話、内容はそんなに関係ないんじゃないかと思っています。
もちろん、その人を信用するに至るプロセスで、かなり説得力を持った説明を受けたり、自分の希望をかなえてくれたりといったストーリーがあっての、信用なんだと思っていますし、それはそれで、良くも悪くもないと思っています。
ただ、今回議論したいことは、誰が言うかによって内容の納得度に変化があるということにフォーカスしていきたいと思っています。
『誰が言うか』を利用する
誰が言うかがポジティブに作用するとき、その1つは文献の引用です。
自分の意見だけでなく、どこかの著明な先生の研究で実際に証明されているという一文を加えるだけで、説得力が一層強くなります。
もう1つは、上司の責任によってアウトプットしてもらうということです。一般社員の発言力よりも、上司の方がもちろんあるわけで、経営や方針に影響を与えることができるのも上司。その発言力を利用するということです。
『誰が言うか』という”ツール”
実際に同じことを言っていたとしても、誰が言うかでその影響が変わってしまうということは、例えば、ある下っ端研究員が発見した重要なモノを、上司の教授がそのまま主語を抜いてアウトプットしたとしたら、あたかもその教授が発見したものというように聴衆は判断すると思うんですね。
『誰が言うか』の影響力はポジティブな要素・・・というより利用することもできれば、利用されてしまうこともあるということですね。
要はある種のツールであると言えると思うんです。
そのツールを使うということは、自分が伝えたいことを等身大で伝えるということを放棄しているということだと考えています。
上記のようにそうした方がイイこともあるでしょうが、自分が言いたいことを言うという自分に与えられた特権を行使するためには、この『誰が言うか』というフィルターを一度取り払うという発想に行きつく必要があると思っています。
特に、自分がリスペクトしている人の発言というのは、自分の発想にも大きく影響を与えますが、そもそもその人と自分は違う人間。自分の本当の発想というのは、そもそもオリジナルなものなので、そのオリジナリティを失わずに、あくまで他の意見として見るという視点が重要なんじゃないかと思っています。
今回は『『何を言うかよりも、誰が言うかの方が重要』という意見から見えること~自分は自分、他人は他人~』について書かせていただきました。
また、あしたね(^^)/~~~