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なぜ「金は時なり」と言わないのか~「時」の2つの解釈~

今回は「なぜ『金は時なり』と言わないのか」について書いていきたいと思います。


時は金なり

「時は金なり」とは、

アメリカの政治家、
ベンジャミン・フランクリンの言葉で、
「Time is money」の日本語訳です。

時間はお金と同様に貴重なものであり、
決して無駄にしてはいけないという戒めである。

時間に対してお金というのは、
例えば“お給料”の考え方で言えば、
「時間」に対して投じた労働力に対して、
それに見合った「お金」を支払う仕組みで、
1日(約8時間)働いてお金が支払われることを“日給”、
1か月であれば“月収”、
1年であれば“年収”というように表現します。

いわゆる、Time is moneyであり、
時間を投じることでお金を得られる、
つまり時間に価値がつくということだと感じています。


金は時なり

これは、
「時間でお金を得る」というTime is moneyの考え方とは逆で、
「お金で時間を得る」というMoney is timeの考え方です。
この表現って・・・あまり耳にしません。

しかし、
たとえば、
電車で向かうところを、飛行機を使うことで、
使う「お金」は高くはなるものの、
現地で観光する「時間」や、
食事を楽しむ「時間」が手に入るということで、
「お金」を払って「時間」を手に入れた、
という考え方になるのではないかと感じています。

でもやっぱり、私は少し引っ掛かっていて、
であれば「金は時なり」という言葉が
もう少し広く浸透していると思うのです。


それは、時間か

「時は金なり」で言われている、
「時」は時間、「金」はお金である事は、
矛盾しませんが、

「金は時なり」で言われている、
「時」というのは、
本当に「時間」の事を言っているのか、
考えてみました。

そこで感じたことは、
必ずしも、「時間」とは言えないのではないかということです。
どういうことかというと、
時間が手に入ったということを、
どのように証明するかということです。

「時給」のように、
「時間当たりのお給料」という記載はそのままですが、
お金を払って得た「時間」というのは、
どのように表現されるのでしょう。

「時間」=??

そこで考えられる1つの仮説は、
その時間は「機会」ではないかということです。
「機会」を「時間」と表現することができるかもしれませんが、
時間を得たということを表現するために、
「機会」を使っていると感じたからです。

時間ができたことで、
「朝食をゆっくり食べることができる」
「観光ができる」
「昼寝ができる」
「映画を観に行ける」

共通していることは、「人それぞれ」です。
「時給」のように、
全ての人に共通した「1時間」当たりの「お金」ではなく、
「時間」の尺度として「機会」を当てていることで、
「人それぞれ」という概念が「時」の解釈を混乱させていると感じています。

「Time」のそれぞれの解釈

つまり、
「Time is money」の「Time」は、
全ての人が共通の尺度になっている。

「Money is time」の「Time」は、
「人それぞれ」という「機会(Chance)」という概念になっているので、
使われにくいと考えています。


今回は「なぜ『金は時なり』と言わないのか~「時」の2つの解釈~」について書かせていただきました。
今回の1枚は、akira_ftwさんにいただきました。ありがとうございました。

それでは今回もご覧いただきありがとうございました。
また、あした(^^)/~~~

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