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【読書感想】 2024年108冊目「功名が辻(四)」司馬遼太郎/文春文庫


pp.891---929 東征(承前)

「いつの時代、いつの場合でも、人間の十中八九は定見もなく風次第で動く、というのが正直なところ、浮世の姿でござるよ」・・・

屁理屈ばかり言っていないで、とにかく動く。物事の成否は結局のところ勢いによるところが大きい。

正信はさほどに伊右衛門の一言の効果を重く評価しなかったが、家康はあの一言で歴史はかわった、という意味のことを言い、 「おそらく古来、これほどの功名はないだろう」  といった。・・・

伊右衛門(山内一豊)は、自分の城を明け渡してまでして、家康に忠誠を誓った。天下分け目の関ヶ原の戦いは、伊右衛門の一言で決してしまった。

pp.930--1005 大戦

(その肉体もそうさ)  と、ふとぶとしい声でいうのである。肉体さえ、いずこからか来た自分の生命の仮り着にすぎない。去ればまたいずこかへ去る。 「なるほど、左様でもあるな」  と、なまの伊右衛門が、ゆらいでいる草を見つめながらつぶやいた。なにやら、かつて味わったことのない勇猛心がわきあがってきたようであった。・・・

大事な仕事のとき、先輩社員が「命までは取られまい」とよく言っていたのを思い出す。

pp.1006--1043 再会

実に、伊右衛門は奇蹟の男といってよかった。関ケ原に出陣した東軍諸将のなかで、織田、豊臣、徳川の三代を生きのび得た者は、家康その人のほかに、伊右衛門しかいない。・・・

それだけ運の良かった男ということだろう。

さまで武辺者でもないこの夫が、三代にわたる重要な戦場にはことごとく出陣し、めだつほどの武功もないかわりにたいしたしくじりもなく場数のみをかさねてきた。豪傑、軍略家といわれた連中は、ほとんどが早死するか、さもなければ自分の器量才能を誇り、増上慢を生じ、人と衝突して世間の表から消えた。・・・

生き残る、生き続けるということの大切さ、改めて思う。

なるほど、関ケ原での主力戦で血みどろの合戦をした福島正則、池田輝政、黒田長政などからみれば、伊右衛門はただ戦場付近をうろうろしていたにすぎない。 「ないな」  家康はわらった。 「しかしそちらは、武功と申せば槍先の功名のみと思っているのであろう。槍働きなどやろうと思えばたれにでも出来る」・・・

力の巧妙よりも、もっと大切なものを、家康は感じ取っている。

(以前はこうではなかった。以前、この人は、自分が凡庸だと思いこんでいたし、それなりに功名をたててそれなりの加増があるとひどくよろこび、自分は運がいい、それほどの分際ではないのだが、というような謙虚さがあった。いまはそうではない。自分の力でかちえた、と思いはじめている)  男に、出世とはこわい。  分不相応の位置につくと、つい思いあがって人変りのする例が多い。・・・

千代はおもった。男が自分の技能に自信をもったときの美しさというのは格別なものだが、自らの位階に自信をもった場合は、鼻もちならなくなる。・・・

出世しても謙虚さを保つのは、難しい。

pp.1044--1110 浦戸

「河内という名では水難がありそうで縁起がわるい。高知とすればどうだ」 「あっ、これはよい地名で」  と、百々がいった。 「高ク知ル、知るは統治するという意味もあり、つまりよく統治がゆきとどくという縁起よき文字にもなりまするな」・・・

高知という地名を作ったのも、山内一豊なんだ。知らなかった。

「まだ山坂がある、ということほど、人の世にめでたきことはございませぬ。気根を揮いたたせねばならぬ相手があってはじめて、人はいきいきと生きられるのですから」

僕も同じだなぁ。やらなければいけないことが山積みだから、まだ生きられる。

「長曾我部元親ほどの人でもここでの築城はあきらめたそうでございますね」  というと、伊右衛門は意外にいいことをいった。 「元親ならできまい。利口者はえてして気がはやいものだ。おれは英雄ではないから、この工事はできる」  なるほど伊右衛門には、才気がないかわりにねばりがあった。・・・

経営とは、時間を得るもの。ねばり強さが勝負だ。

pp.1111--1150 種崎浜

「ちかごろ、物の本を読んでおりましたら、寛猛自在という言葉がありましたが、政治というものはお母様の申されるような寛ばかりではかえって害があるのではありませぬか」・・・

近頃は経営をしていて、そのように僕も思うようになってきた。

「領民もおなじでございましょう。国をおさめるのは家をおさめると同じ精神だということを古聖賢は申しております。妻子を殺すに忍びなければ領民を殺すこともおやめなさるべきでした」

僕はこのくだりを読みながら、社員を家族同然に思い経営してきた先代のことを思い出していた。

「申しませぬ。ただ、わたくしども夫婦の半生の努力が、結局は土佐の領民の命を奪う結果にしかならなかったのか、とおもうと、なんのためにきょうまで生きつづけてきたのやら、悲しかったのでございます。しかしもう申しませぬ。申しても詮ないことでございます」・・・

pp.1151--1163 あとがき

「千代とわしとでつくった二十四万石だ、一代で取りつぶしの目にあってはかなわぬ」 (ひととは強欲なものだ)  と、千代はぼんやり考えた。一代できずいた身代は一代かぎりでほろぼせばよいのに、晩年になればいよいよそれを永世にのこそうという気持がつよく動くようであった。・・・

「欲に目がくらむ」とはよく言ったものだ。どうなんだろう。自分もよくよく考えてこの先、人生を歩いていかなければいけない。

「功名が辻」。その功名心が思わぬ結果を生むことになった。どこか、さびしい結末だった。

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松坂 晃太郎  / MATSUSAKA Kotaro
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