【読書感想】2024年91冊目「関ヶ原(下)」司馬遼太郎/新潮文庫
pp.908--919 (下巻)田丸
家康って、本当に慎重派。自分の感情に流されず、周りの状況を的確に判断してみせる。これって会社経営者としても必要なところ。
pp.920--943 桑名の城主、鍋島
学生時代、東海道五十三次を野宿しながら歩いて旅をしたことを思い出した。この本を読むにあたっても、その時感じたそれぞれの宿場の風景が、昨日のことのように思い出されてくる。本当にありがたい経験だったと、今さらながら感じている。
pp.944--965 九鬼、美濃の城々
「通信」これほど経営にとって大切なことはない。現場の情報が分からない。あるいは現場が上部の意思を知ることができないことほど、危ういことはない。社員に対して、考え方を、耳にタコができるくらい、何度もしつこく語っていく必要性を感じている。
pp.966--998 使者、岐阜中納言
家康が使者に選んだのは、頭の悪い人間だった。頭が悪いからこそ、最初に教えこまえれた口上を述べてしまった。会社経営でも同じようなことがある。下手に頭が良い人間よりも、失礼ながら悪い人間の方が役に立つことが多いような気がする。純朴さは、人間の価値としては賢さよりも勝ることが多いと僕は思う。
pp.990--1038 先陣、渡河、奇妙人、江戸発向
徳川家康のこの性格、経営者である僕にも共通する部分があるように思う。僕って一見冒険家のように見えるかもしれないけれど、実は、準備を結構やっている。臆病な部分も持っている。
pp.1039--1051 美濃大垣、合渡川
経営は数字をよく見ろと父から言われていた。数字はウソをつかない。(数字を誤魔化そうとする人間はいるが)戦争にしても、経営にしても、個人的な情緒で動いてはいけないのである。
pp.1052--1085 愛知川、焦燥
会社で言えば、地位や給料というところだろうか。考えさせられる。「道」を思って会社に残ってくれる人が本当にこの世の中にいるのだろうか。いや、いることを信じなければいけない。
pp.1086--1119 一咄斎、信州上田城、密書
これだけブログに書いているのに、僕は海外にでも行っているかのうように言う人がいまだにいる。いったいどういうことだろう(^^)逃げ隠れもしないのに。見えなければ見えないほど、人は、想像で相手のことを大きく判断する。なんだか面白い。
pp.1120--1143 家康着陣、関ヶ原へ
企業にとっても1番大事なのは相手の出方に対する情報だ。だから今回の取引先の吸収合併の件は、自分としても少し手薄だったと反省している。斥候こそ、勝負の分かれ目。取引先の情報を集めることに、もっと力を注がなければならない。
pp.1144--1167 牧田街道、松尾山
経営者にとって、社内外に敵を作らないということほど、大事なことはないように思う。時には負けたように見せることも必要であろう。そうして相手に警戒されないようにすることが大事。
pp.1168--1191 霧の中、南宮山
物事の両面というものを見なければ。ちょうど無門関の二僧巻簾という段を素読している。良い悪いの一面しか見なければ、結局大きな間違いをおかすことになる。
pp.1192--1226 混乱、人の和、霧霽
会社の評価は決算で利益を出せるかどうか。どんな言い訳もできない。それはトップの有り様そのものだ。
pp.1227--1273 爪を噛む、叛応、石田崩れ、烏頭坂
僕は関ヶ原をこの足で歩いたことがある。西国三十三ヶ所の途中、はるかに琵琶湖から岐阜への道中に、ちょうどふるさとの府中への道のように、左右から山並みが迫ってきた部分があった。そこが関ヶ原だった。
天下分け目の戦いがあった、その場所で、僕は言いようもない、怨念のような気配を感じて、そこにあまり長くは留まれなかった。裏切りがなければ、徳川家は滅んでいたかもしれない。
pp.1274--1284 藤川台
黒田如水(官兵衛)の息子は、家康に褒められた。しかし、その息子は官兵衛ほどの器の人間ではなかった。
pp.1285--1321 古橋村、六条、下河原
僕も最近会社の中で同じようなことを感じている。でも、万に一人、億に一人だけでも、身近にそういう人と会えたことが、僕にとっての唯一の救いだ。