【読書感想】 2024年78冊目 「峠」司馬遼太郎
pp.7--35 越後の城下
若い頃の僕は、一人で自分が立てた目標を達成したことがなかった。だからあえて、真冬の西国三十三ヶ所を一人で踏破する決意をして、出発した。
工程は吹雪の中。野宿の日々は、想像以上の寒さだった。どうして、真冬だったのか。もっと良い季節、春先とかを選べなかったのか。
この物語の主人公も、あえて三国峠を越えて真冬の街道を江戸へと旅立った。その理由はというと、「この胸中にある物事への疑問を明かしたい」ということだった。
pp.36--96 十六文
「学問は人から教えられるものではない。 自分の好きな部分を、自分でやるものだ」
僕は大学生から大学院時代は、大学の図書館とともにあったと言っていい。先生よりも、図書館から学んだことの方が多い。図書館は、院生になると、直接地下室まで降りて行けたから、一日中、地下に篭って、勉強していた。当時は、人工知能の論文のほとんどが海外だったから、海外の研究論文や文献を読み漁った。
そんな時間にふと見つけたのが、僧堂体験記で、その影響で出家までしてしまう。疑問に思ったことは、自分でやってみなければ気が済まない性格だ。
pp.98--170 横浜出陣
「拘束の中で人間は懸命に可能性を見出し、 見出すために周囲と血みどろになってたたかわねばならない」
主人公の継之助の場合は、主君が徳川家の譜代大名だということ。僕の場合は、ヒロボーの後継だということ。(今は社長)自分で自分を縛り上げているこの拘束こそが、自分を一人人間として成長させていく。
「継之助は、常にモノの本質を見抜くことによって、そこから思考を出発させる癖を持っている」
僕もそんな感じ。
pp.171--220 旅へ
「見知らぬ子供が川に落ちた。どんな悪人でもそんな場に通り合わせれば、捨てておかず、なんらかの手段で助けようとする。人間が持っている痛わしく感ずる心 ー惻隠の情ー」
ハローズでいつもゴミを拾って歩いている人を思い出した。そこにゴミがあるのに、拾わないではいられない。困っている人がいるのに、助けないではいられない。
「その行動は純粋気質から発していて、高山の湖のように、透明度が高い」
pp.221--309 ちりの壺
「書物の種類が少なかった頃だけに、人がいわば書物のような時代であった」
僕は今の時代も、人は書物だと思っている。書物よりも、ずっと学ぶべきところが多い。人は生きた学問だし、書物だ。
・徳川時代、政府は、儒教を奨励。(治世のためもある) →「君」について徳川将軍家でなく、天皇にあるとした別派が生まれる。その一つが水戸藩。尊王論から勤王論へ発展。
pp.310--345 備中松山
「改革者というものは多くは美名が残らない」
この節は、備中松山藩の財政を建て直した、山田方谷(やまだ ほうこく)の話。
社長として着任してからは、さまざまの改革をしてきた。改革にあたっては、相当の反発もある。しかし、世間に美名は残らずとも、財務体質を改善した事実は、残ると信じている。
pp.346--414 庭前の松
「人は原則をもたねばならぬ」
右往左往していては、成るものもならなくなる。一体何が大切なのか。目先の利潤に浮かされて、大切なことを見失ってはいけない。
今会社にとって最も大事なことは、財務体質をしっかりさせること。そのためには、何ものをも恐れてはいけない。
pp.416--497 信濃川
「継之助は、よほどばくちがきらいらしい」
「継之助は、長岡藩をスイスのように教育と経済と軍政を確立したかった。独立国家を作りたかった。」
「その建設をさまたげるものは、容赦なく摘み取る」
この会社も同じことだろう。目的のためには、切り捨てなければならないものは、
どんなことがあっても、切り捨てる。それが道理というものだ。
それにしても、この本に出てくる継之助、面白い。映画も見たくなってきた。
pp.498--870 風雲、藩旗、江戸(中巻読了)
「強気に気に入られるためにはなにをするかわからない」
社長である僕に気に入れられるために、みんな、あれやこれやという手を使ってくる。自尊心というものが全くみられない。人間のクズだとしか、言いようがない。
pp.871--956 越後へ、故郷
「どうしても自分が錬磨しぬいた剣術や槍術を捨てきれないのである。そういう考え方を捨てぬ限り、一事が万事、だめだ」
誰でも使えるようなものを、小馬鹿にする傾向がある。複雑なものを目の前にすれば、自分が「賢く」なった可能ような錯覚をする者もいる。
複雑で、誰にも使えない道具を揃えるよりも、誰にでも使えるようなものを作ることのほうが、企業にとっても、はるかに生産性を高めることになる。
pp.956--1057 戦雲
「一案を信じる以外に道はござらぬ」
有名は小田原評定という話がある。色々考えてみても、結局、結論というものは出ない。それよりも大切なことは、スピード。何をかを一つ信じて、団結していくかということだ。会議ばかりやっていて、どうなる。会社にとっても、ここが大切だ。
pp.1058--1219 小千谷談判、蹶起(読了)
「時勢だ。時勢の大波が猛(たけ)りくるって藩境にせまっている」
時の流れというものがある。それに逆らおうとしても、到底逆らえるものではない。しかし、その流れに乗った側にしてみれば、これほど自分というものが空虚に感じられることはない。
司馬遼太郎の小説は、前者を描いたものが多いように思う。たとえ逆境にあっても、己というものを見つめ切った人間のほうが、美しく見える。