第13章:今の時代を築いているのは「わたしたち」である
今回は、一般的な歴史の見方とはちょっと変わった視点のお話をさせたいただきたいと思います。
わたしの得意分野でもある「芸術と文明の相関関係」を軸として、過去の芸術史と文明の発展という歴史を同時並行で見ながらまとめていきたいと思います。
ところで、みなさんは日常において文学や美術に触れる機会をどれくらい持たれていますでしょうか。
そこまで触れる頻度が高くない方々にとっても「おもしろい!」と思ってもらえるように工夫してまとめていますので、ぜひ最後までご覧いただけるととてもうれしいです。
この記事のゴールとして、文学や美術と歴史の変遷から見えてくる各時代のテーマを事例として、最後には、現代のわれわれの時代のテーマや、前の時代の価値に繋げたいと思っているので、そこまでお付き合いいただけると幸いです。
順番としては、まずは過去の文明史・文学史・美術史の3つ史軸における主なできごとや人物・作品を見ていきたいと思います。
その後に、現代の史軸に置き換えて、現代を俯瞰してみるという試みです。
まず、結論から先に言ってしまうと、以下の通りになります。
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まつおの結論
時代は文明と芸術が影響し合って創出され
今の時代も現代に生きるわたしたちが築いている
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当たり前の結論と思われたかもしれませんが、今回の記事を通してその真意を読み取っていただけるととてもうれしいです。
それではさっそく、まとめた内容を見ていきたい思います。
まず、ご多忙な方用に今回お話しする内容の相関図を画像一枚にまとめました。
お時間ある方も、画像と文章を照らし合わせながらご覧いただくとわかりやすくなるかと思います。(※自作の拙い即席の相関図ですがご了承下さい)
<3つの史軸 相関図>
以下では、それぞれの時代背景と変遷の説明を文章で加えていきたいと思います。
科学発展の時代
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1830年頃からイギリスに始まる第一次産業革命が起こりました。
(※開始時期は諸説あり)
この産業革命では、具体的に、機械制工場と蒸気機関の力を利用した技術革新とそれに伴う社会の変化をもらたしました。
この19世紀半ば以降の時代をもっとも特徴づけるテーマはズバリ「科学」です。
まずは、19世紀中頃から見ていきたいと思います。
可能であれば、上記の相関図と照らし合わせながら以下の文章の説明をご覧いただけるとわかりやすいかもしれません。
<19世紀半の概要>
【文明史】
『種の起源』(1859年)・・・生命誕生の科学的証明。
提唱者:チャールズ・ダーウィン
【文学史】
リアリズム文学・・・現実に即した細かい描写が特徴的。
代表例:チャールズディケンズ(1837-1850年)
【美術史】
写実主義絵画・・・対象物を忠実に再現する画法。
代表例:J.F.ミレー『落穂拾い』(1857年)
さらに時代は進み、19世紀終わり頃にはそれぞれの史軸(しじく)がガラッと変わり始めます。
<19世紀末の概要>
【文明史】
小型カメラの普及(1892年)・・・写真技術が一般家庭に登場。
販売元:コダック社
【文学史】
世紀末文学・・・科学の闇の部分を描く作品が多い。
代表例:ジキル博士とハイド氏(1886年)
【美術史】
印象派絵画・・・一瞬一瞬の印象を抽象的に描く画法。
代表例:C.モネ『日の出』(1873年)
この時代の変遷は個人的に全史の中でも一番おもしろいと感じています。
『種の起源』以前は、人間は万物の創造主である神によって創られたものであると本気で考えられていました。
しかし、生命の誕生および進化が、科学的に説明されることによって、科学に対する信用の高まりと同時に、宗教に対する神秘性が若干薄れていきます。
また、文学と美術においては、現実世界を忠実に再現する技法が主流でしたが、19世紀末に登場した商用の小型カメラが一般家庭に普及することによって、"在るまま"を忠実に描くことをテーマとしていた写実主義の画家の立場がなくなり、写実主義を放棄して印象派に転向する画家もいました。
写実主義
J.F.ミレー『落穂拾い』(1857年)
印象派
C.モネ『日の出』(1873年)
さらには、19世紀末になると科学がもたらす闇の部分を描く文学が登場したりと、科学とその技術革新に対する反発という側面が文学と美術の両側面で顕著に現れています。
この時代だけ切り取っただけでも、芸術世界における技法や主義の変遷が、文明の進歩とともに劇的に変化していることが読み取れるかと思います。
物体に光があたると影ができるように、科学という光が発現すると同時に、その反動としての闇の部分も浮き彫りになり始めます。
その特徴が、次の時代から色濃く出てきます。
第一次大戦の時代
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20世紀に入ると科学が根源的なエネルギーとなり、文明が異常なスピードで発展します。
この時代の特徴は「感情」が挙げられるかと思います。
<20世紀初頭>
【文明史】
①有人飛行の成功(1903年)・・・飛行機の初歩技術が完成。
発案者:ライト兄弟
②第一次大戦(1914-1918)
・・・戦闘機の登場により、戦闘の三次元化。
欧米で多数のシェル・ショック患者(精神疾患)。
【文学史】
モダニズム文学・・・意識の流れという手法で文章を表現。
代表例:V.ウルフ『ダロウェイ夫人』( 1925年)
【美術史】
フォービズム・・・感情を重視し、強い色彩で描く画法。
代表例:A.マティス『マティス夫人』(1905年)
科学文明の発達によって、飛行機や蒸気機関の技術が向上し、戦闘機や機関銃への転用が行われ、殺傷能力の高度化が起こりました。
(※わかりやすくするために、ちょっと乱暴な説明ですみません。)
それにより、第一次世界大戦では、それまでの戦争とは比べ物にならないほど、全世界的に多数の死傷者が出てしまいました。
命は助かったものの、激しい戦闘による恐怖心が植え付けられた帰還兵の方々の多くに、帰還後にシェル・ショックと言われる重篤な精神疾患の後遺症が残りました。
シェル・ショック患者のその後の人生は、よく「第二の戦場」と言われるほど、本人だけでなく周囲の方々にも大きな損失を被りました。
そのような感情が揺さぶられるような悲惨な時代であったことは、当然のごとく文学や芸術にも反映されています。
その一人がヴァージニア・ウルフという女性作家です。
ウルフ自身が神経衰弱を発病したりという背景もあるのですが、彼女が書き起こす文章は意識があちらこちらに飛び、読者としては非常に読みづらいです。
しかし、それには理由があり、彼女の自伝的小説『Moments of Being.』で述べられています。
ウルフは、人の頭の中で絶えず行われている「意識の流れ」を忠実に文章に落とし込むことに注力した結果、このような意識があちらこちらに飛ぶ描写が盛り込まれた書きぶりとなっていると語っています。
つまり、ウルフに代表されるような「モダニズム文学」では、その前の時代に主流であった「リアリズム文学」や「写実主義絵画」に象徴されるような「外身」ではなく、人間の「中身」への着目へと移り変わったと言えます。
また、同時期の美術史においても、フォービズム(=野獣派)という主義が台頭し、色彩の強い色合いを用いた感情を爆発させるイメージを連想させる技法が主流となっていきました。
フォービズム(野獣派)
A.マティス『マティス夫人』(1905年)
フォービズム以降は、キュビズム・未来派・ダダイズム・シュールレアリスムといった多様な主義が誕生し、それぞれの技法が独創的な発展を見せました。
上述の通り、この時代のキーワードは「感情」だという理由として、科学技術の発展の裏で起こった戦争を体験した世代の怒りや悲しみといったことに端を発している側面が多く見られると感じたため、そのようにまとめさせたいただきました。
これ以降の時代も説明を加えたいのですが、そろそろ文字数も膨大になってきたため、現代にフォーカスしてまとめに入りたいと思います。
まとめ(現代)
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いろいろと書いてきましたが、過去の時代のテーマを振り返って結局何が言いたかったのかというと、今生きているわれわれにはどんなテーマがあてはまるかということに繋げたいという、ただそれだけです。
わたしが感じる現代のテーマは「個」ではないかと思っています。
近年のできごとを思い浮かべて、この「個」というテーマがふさわしいと思いました。
・インターネットとスマートフォンの一般普及
・フリーランスという企業に属さない独立した働き方が増加
・Youtuberやインフルエンサーといった個人で活躍できる人々が登場
・シリコンバレーにはGAFAなどの個性溢れる人材による起業が目立つ
・ECを通じた個人間ビジネスの普及
・芸術でいうと独創的な才能を持った個人が全世界で活躍している
・LGBTやMeToo運動など一人一人の個の尊厳を尊重する風潮
現代においては、人々の在り方の多様化が進み、今の時代を象徴するテーマを1つに絞ることは困難ではありますが、前の時代との繋がりから比較した時に1つ言えることは、個人や個性の台頭だと考えます。
現代の芸術も、多岐にわたり多様化しているため、前の時代のように「写実主義」や「印象派」といったような分類ができないほどではありますが、あえてカテゴリーを設定すると、それは「個」以外に形容し難いと感じます。
日本の芸術家も非常に個性的で独創的な方々が活躍されています。
その顕著な事例として、『ブレイク前夜〜次世代の芸術家たち』というBSフジの番組が取り上げている芸術家の方々が挙げられるかと思います。
今を生きるわれわれが大切にしなければならないと思う視点は、現代にある「個」の活躍を支えるための基盤である「自由」や「多様性」や「利便性」といったものは、前の時代の人々の試行錯誤や栄枯盛衰を経て確立されたものである点だと考えます。
今ある当たり前は、前の時代の人々の努力や犠牲なしには獲得されたものではありません。
わたしたちが当たり前に享受しているインターネットを介したヒト・モノ・コトの移動の効率化や、高度情報化社会の確立によって獲得された「自由」は当たり前のものであるという視点ではなく、前の時代の人々が「自由になる」ための努力や苦しみの積み重ねで繋がってきた副産物であるという感謝の気持ちを持つことで、この「自由」を使って社会をさらに豊かにするための働きかけを個々人が心がけることこそが、今を生きるわたしたちに託された使命なのではないかと常々感じています。
そのため、せっかく前の時代の人の努力によって獲得された「利便性」や「自由」を振りかざして、わざわざ他人を誹謗中傷する行為には理解に苦しみますし、「自由」の意味を取り違えている方々の取る行為だと感じています。
わたしは「個」としての使命を、自分ができる範囲で全うして生きていきたいと考えています。
また、わたしと繋がった方々には、豊かな人生を過ごしていただきたいという考えがあり、その根本は、この「個」が前の時代の先人たちの努力や犠牲のもとに脈々と繋がってきた有難い副産物であるという歴史的な視点で捉えていることから発しているのかもしれません。
まとめとしてはいつもの通り抽象的で概念的なものとなってしまいましたが、みなさんにとっての今の時代のテーマや今ある自分の「個」としての価値を見つめ直していただくきっかけになればという思いでまとめてみました。
今生きている一人一人が価値ある「個」であるので、社会や世間といった一見難しい壁が立ちはだかっても、自信を持って自分なりの個性を発揮して活躍する前向きな姿勢を持っていただきたいです。
みなさんの思う、今わたしたちが生きるこの時代のテーマはどのようなものでしょうか。