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本当に導かれているのは、わたしたち大人のほうかもしれない。

なぜだろう?

以前のわたしは、誰に言われた訳でもないのに、「努力しなきゃダメ」、「怠けちゃダメ」、「打ち込まなきゃダメ」、そう思って生きていたように思う。

「今を楽しむ」という考え方になかなかならなくて、いつも、「成し遂げるため」、「達成するため」、そんな風に考えて行動していた。

若い頃からそう。

たとえば、スキー場に遊びに行っても、スキーを楽しむよりスキーの上達が目的になっている、とか。

別に、そんな生き方が嫌いだった訳じゃない。

でも、ある時、この生き方でつまずいてしまったのよね。

それは、会社を辞めて、主夫を始めた頃。

仕事中心の生活から一転、3人の育児をわたしが引き受けることになり、こどもと過ごす時間が一気に増えた。

でも、当時のわたしには、「こどもとの時間を楽しもう」という発想が出てこなかった。

子育てはあくまで「親の務め」であり、義務。

それが一気に増えたような感覚。

友人に「こどもって大変だけどかわいいでしょ?」と聞かれて、「子育ては試練だと思っている」と即答したのを今でも覚えている。

だんだん子育てが足かせみたいに感じられるようになり、気づいたら「こども=自分の生き方を妨げる疎ましい存在」へと変わっていた。

こんなはずじゃなかったのに・・。

それは、人生のターニングポイントとなった。

そこから徐々に自分の内面と向き合うことに。

そして、冒頭に書いたように、今を楽しむことをせず、何かを追い求める生き方しかしてこなかったことが要因だと気づく。

そりゃあ、うまくいかないよね。

だって、子育ては成し遂げるものではないから。

この辺りのことは、以下のブログ記事に詳しく書いてあるので、興味のある方はどうぞ。

葛藤はあったものの、最終的に、わたしは生き方を変えることにした。

子育てを「親の務め」として捉えるのではなく、もっとこどもとの時間を楽しもう、何気ない日常を楽しもう、と。

それは、義務感や使命感にとらわれすぎていたわたしを、我が子が解放してくれた瞬間だった。

以前、「こどもは、わたしたち大人を、元いた場所に連れ戻そうとしてくれている」という言葉を聞いたことがあるんだけど、まさにそういうことなんじゃないかな。

少なくともわたしは、以前より人生を楽しむことができるようになった。

生き方を変えるようなきっかけって、そんなにあるものじゃない。

信念を曲げたり、これまでの人生を否定したり、そういうのってすごくしんどいことだから、よほどのことがない限り、しないと思う。

こどもという存在は、そんなことをやすやすと越えてくる。

つい、わたしたち大人は、こどもを導く立場だと思いたがるけど、本当に導かれているのは、わたしたち大人のほうかもしれない。

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トモさん(松井 知敬)
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