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「褒める」も、使い方しだいで毒になる。

「褒める」も、使い方しだいで毒になる。

昔、読んだ育児書に、そういうことが書いてあった。

「褒める」には「親が子をコントロールしたい」という意図が少なからず含まれる、と。

確かに、「外で元気に遊んでえらいねー」や「本をたくさん読んですごいねー」とは言うけど、「ゲームたくさんしてえらいねー」や「漫画たくさん読んですごいねー」とは、普通、言わない。

知らず知らず、自分の望む方向に誘導しているということ。

そこに親の意図が含まれる限り、「褒める」は毒にもなりうる。

コントロールと言えば、精神科医の友人から、「親が子にイライラするのはコントロール欲が強すぎる証拠」と聞いたことがある。

確かに、時間のないときにこどもにイライラしがちなのって、「こどもを思い通りに動かしたい」というコントロール欲が一時的に上がっているから、と見ることができる。

そういった感情が日常的にあるとしたら、かなりしんどい状態。

親にとっても、子にとっても。

だからこそ、コントロール欲は、できるだけ手放すに限る。

親にとっても、子にとっても。

こんな感じで「コントロール」に関してわりと敏感なほうなんだけど、完全な「無我」になることもできないし、ちょうどいい舵取りってのが、まあ難しい。

実のところ、うまくいかないなーと感じるときって、自分が多様性を尊重できていないときであることが多いのよね。

つまり、コントロール欲を手放せていないとき。

結局、自分の問題なんだよなあ・・。

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