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やってやれないことはない14話 『病院経営の依頼』

私が目指すものは、ドクターヘリのパイロットになること。

日本は大きく経済が変化していました。
バブルがはじけて、良い話を聞くことがありません。

政府の構想であったドクターヘリ構想は、跡形もなく消えてしまいました。

しかし、100%の打ち切りとは考えず、いざとなったときに前に出られる技量維持だけはしておくことにしました。
また、アメリカ連邦航空局の事業用ライセンスは、日本で自家用にしか書き換えができないため、再度訓練を受け日本の試験を受ける必要がありました。

北海道で日本の事業用の訓練が始まり、今度は日本風に訓練服着用で自衛隊式です。
身の引き締まる思いとはこのことで6か月の訓練を終え、無事合格し、晴れて日本の空を事業用で飛ぶことができました。

日本列島南は北九州から北の北海道まで多くの空港とヘリポートに飛来し、技量維持をしていましたが、政府のドクターヘリ構想は、再構築されず、すべての運行事業会社は手を引いたため、40歳を目前にして断念することになりました。

またもや自分の意志ではできない何かが、行く手を阻むことになってしまいました。

しかし、この時は三次元空間の空を飛ぶという目的は達成できましたので、やれるとこまでやり通したという感覚に満ちていました。

いつもこんなどんでん返しばかりです。
なぜかいつも落胆しないで前に進めるのは、まだまだやりたいことがあるからかもしれませんね。

病院回帰に原点を戻し、務めた始めた病院では自分でも驚きでしたが、3か月後、庶務課長の大役に就くようにとの内示を受けました。

この病院では、外国人が来院されると必ず外来の診察室で通訳を頼まれ、米国留学のそれなりの成果が役立ちました。

今までの病院勤務の仕事は、医療事務がベースとなっていましたが、庶務とは病院全体を経営から俯瞰していくことが必要とされます。

病院管理を主体として総務業務や経理事務、地域医療体制、施設基準まで幅広く関与させていただいたことは、病院という法人の中にあって、全体を見る大きな視点を与えてくれました。

就業規則の改定や労働基準法に基づく手続きなど知識の広がりが、益々やる気を出していました。

病院経営に対する原点がここにあります。

そのような充実した勤務の中にあって、久しぶりに知人である医師から電話がありました。
「一度、うちの病院を見に来ないか。」
「往復の航空券は準備するから、話もあるから家に泊まればいい」とのこと。

その医師とは大学付属病院の前に勤務していた病院で一緒でした。
長男誕生時に奥さんの入院している産院へ頼まれ物を届けた間柄で旧知でした。

なんとなく胸騒ぎを覚えましたが、高校の修学旅行以来の土地でしたので軽い気持ちで受諾しました。

久しぶりの再会は、家族が増えにぎやかでした。

病院では理事長兼病院長の立場。病院内の案内は受けましたが、印象はあまりよくありません。

そりなりに規模はあっても、廊下角に綿ぼこりが舞っている、トイレは非常に臭い、待合室は暗い、病棟は辛気臭い、外来のカーテンはシミばかり。病棟のカーテンはカギ裂きに破れている、エレベーターに身障者用のスイッチがない、病院全体的に活気が感じられない、カルテのファイルが古い配列、コンピューターが古い、庭木の手入れがされていない、廊下が暗い、ナースが奥の控室にばかりいる、病棟が臭い、リハビリテーション室が狭い、掲示物が古く整理されていない、等々。
見る価値に値しない状況に言葉もありませんでした。

その晩、この医師からの依頼です。
「この病院に赴任してから頑張ってきたが、改善が思うようにいかなくなって行き詰っている。何とかしたいので、手を貸してもらえないだろうか。」

考えさせて欲しいと伝えて翌日帰宅の途につきました。

その後、何度も電話があり、今度は私の自費で行くことにしました。

前回と病院の評価は変わらず。
奥さんからも理事長は、夜中も目を覚まして眠れなくなってきており、是非助けてほしいとのこと。

帰宅して冷静に整理してから、連絡をすることにしました。

この病院は、地元の会社の関連会社との位置付で、そこの意向を踏まえて経営してきた結果、現在の状況に行きつき、毎月の職員給与の支払いさえ、関連親会社から借入しなければならないほど行き詰っていました。

関連親会社の役員とも東京で会うことになり、私の考えや条件を伝えることになりました。

① 経営に関しては一切の判断と決定を任せて欲しい。
いろいろな意見を取り入れていくほどの資金的、医療設備的、人事的に時間がないので、決定の時間を短縮するプロセスとするために依頼しました。
医療と経営の分離を勉強した結果としての判断でした。

② 私の給与は、経営の状態から踏まえた金額に設定することを理事会で承認してほしい。
当初は、東京で勤務していた病院の給与さえ無理だと認識し、病院の増収に応じた給与決定として年俸制を希望しました。
法人理事になるよう依頼されましたが、経営そのものを行う立場として、現場に身を置く立ち位置のため辞退しました。

③ 医療制度改革が行われている実態からして、今後の方針はこれに沿う形で実行変革していくことに協力してもらいたい。
職員全体に医療制度改革の認識を得るため、迅速な決定と教育に方針を合わせる認識を持ってもらうため。
医療制度改革は病院一丸となるための方策です。

以上の3条件を持って『病院経営の一切を任せる』となり、赴任することとなりました。

この決断は、私が医療にかかわってきたすべての事象とその反面教師の経験に基づく、失敗できない実証実験となるのです。

① に示したことは、経営責任のある医師にとっても診療に専念できるため良いことだと思っています。
勿論、経営の主体となりたい医師においては別格ですが、経営を任せきれるだけの職員を探すことができれば、育成していくことも可能でしょう。

斯くして、病院を経営することになりました。
職制は管理事務部長。職域は、病院経営と全体の統括。

これからいろいろな問題を解決しながら、健全な経営に向かって5年間走ります。

あるがままを受け入れ、私の知恵と経験と視点の全てを使ってゆくことになるのです。42歳

このnoteは、私の人生において成功・完結・失敗・後悔などのストーリーです。 若い皆さんのヒントになればと思って書いています。 書いてほしいことがあれば、気軽にご連絡ください。 サポートは結果であると受け止めておりますのでよろしくお願いいたします。