40代半ばの夏、いつの間にか始まっていた自由への疾走
2023年7月23日(日)🌒5.4 ☀️4:42-18:53
24:大暑 72:桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)
「今年も半分過ぎたが特に何も起こっていないなあ」
と、ほんの20日前まで思っていた気がする。この10年以上そうであったように、今年もこんなふうに終わっていくのだろうと。
ところが、この2週間ほどで実は大きなコーナーを曲がっていることに気がついた。
こんなことってあるのか。もう先が見えているかのような日々のなかで。
ひとつは、前回書いたように、日々の料理の仕方を根本から変えるきっかけがあったこと。
それは一見不穏な始まりだったが、「自分の食べたいものしか作らない」と決めたことは、暮らしのすべてに想像以上の変化を私にもたらした。自分の人生をこれでもかと削ってきた苦痛が、かなり減ったのがわかる。
先日は宣言通り、唐揚げを作った。パクチーサラダも作った。くるみとごまだれでドレッシングを作った。
昨日は、あさイチのレシピで冷汁を作った。さばの味噌煮缶を使うのだが、少し薄味だった。まあよい。
冷蔵庫の残りもの消費のための料理はなるべくしたくないのだが、パクチーサラダのために買ったレタスが大量にあったので、湯引きレタスにした。これまでの私なら、適当にごま油とオイスターソースをかけていたところを、レシピを見つけて醤油や砂糖、酒も混ぜ、煮立たせてタレを作って食べた。感動的に美味しかった。
自分の食べたいものしか作らない、と決めたら、値段も栄養も気にしなくてよいことに気づいた。
そして、私の料理は美味しくなった。結果、夫も食べている。まあ、これは予想していたことなんだけど。
もうこれから、食べたいものを作る以外の準備はしない。一週間の計画をたてて買い出しなどしない。「作れるもの」も、今食べたくなければ作らない。
これは都市に住んでいるからなせるわざかもしれないが、もうずっとこのまま生きようと思う。結婚して15年、あれほど苦痛だった料理がさして苦痛でなくなる日が来るとは夢にも思わなかった。
本当は、最初からできたことなのに。
もうひとつは、一度は挫折した車の運転が、できるようになってきたかもしれないことだ。
私の夢。絶対叶わない夢。それはひとりで高速に乗ってサービスエリアへ行くことだ。
同級生たちは30年近く前からそれをやっているが、私の人生には絶対起こらないことだと思っていた。それは、私が幼いころ「私は一生結婚なんてできないだろうな」と思っていたのと同じくらいの「絶対」だ。
28歳のとき、免許取得に四苦八苦をしていた頃、「本当はクルマの運転なんかしたくないんだよ」とごちた私に、ある知人がこう声をかけてきたことがある。
「ひとりで丘の上まで行けた日に、クルマに乗れてよかったと思うかもしれないよ」
そこから18年、そんな日はこなかった。そしてほんの2週間前まで、その思いはまったく変わらなかった。やっぱり私にはそんな日はこないのだろう、と思っていた。
が、もしかしたらそんな未来があるのかもしれないところへ来た。いつの間にかきていた。
ふたたびのペーパードライバー教習を受けたのが5週間前。生まれてはじめてひとりでクルマに乗ったのが1か月前だ。
そして私はきょう、ひとりで環八を走ってきた。
と同時に、「私は免許を剥奪されるほどの認知能力しかなく、発達障害かもしれない」と、自分の能力の著しい欠損を責める必要もなくなった。
私はこの13年間、「諦めて受け入れることをよしとするムード」の中に生きてきた。
できないことはできないまま自分にOKを出しましょう。地下鉄に乗れなくても、クルマの運転ができなくてもOKです。あなたはあなたなのです。
そんな耳触りのよいセラピストの言葉ともに、治りたい、変えたいと思うことが罪であるかのような治療が、13年続いていた。
いま、しつこく執着することで40代後半にして開ける道もあると身をもって知った私は、ますます人生がわからなくなってきた。
人生のコーナーはこんなふうにいつの間にか曲がっている。しかしそれは急激に起こってもいる。
私はただ、できるだけ解放へと向かう。それだけ。