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『インサイド・ヘッド2』は個々人の中の多様性を認めてくれる映画

色々映画は観るのだけれど,どうしても感想を書きたくなるのはピクサー映画。ということで,今回もピクサー映画。

『インサイド・ヘッド2』(原題:『Inside Out 2』)を鑑賞。

この映画は一言で言えば,
「あなたは色々な感情や性格,考えを持っていても良い。それを全てひっくるめて,多様な要素全ての組み合わせの結果があなたなのだから」
というメッセージを送ってくれる映画。

主人公のライリー・アンダーソンは,13歳で思春期真っ盛り。
それ以前のライリーは「私は良い人」という自己認識(アイデンティティ)を軸に行動していた。が,思春期で「心配」や「嫉妬」,「恥ずかしさ」などの感情が芽生えるようになり,次第に「私は全然ダメ」という自己認識が出来上がっていく。

「私は良い人」という自己認識をなんとか保とうとするヨロコビ。
これまで,嫌な思い出や「良い人」として不都合な出来事を記憶の彼方へ葬り,自分のいい部分だけを自己認識の材料としていた。
しかし,思春期でかつ外部環境も変化すると,「良い人」としてのみ振る舞えるほど単純な日々ではなく,自己認識と自分の行動との乖離に苦しむようになる。

単一的なアイデンティティではなく,全ての感情,考え,行動を丸々ひっくるめて「ライリー」なのだと気づいたとき,多様でカラフルな自己認識の花が咲く。要素はみんな同じなのだけど,その組み合わせは無限大だから,「みんな違って,みんないい」ということ。

ここでうまい表現だなと唸らされたのが,ライリーが自分自身の多様性に気づき,それを丸ごと肯定することができたときの描写(シーンで言うと練習試合でペナルティ・ボックスから出るとき)。
ライリーはそれまで自分のアイデンティティと行動の乖離に苦しみ,内面ばかり向いていたので,感覚が自分中心的になっており心臓の鼓動ばかり聞こえている。

他方,自分の多様性を肯定できたとき,ライリーは,
体育館に降り注ぐ光とそれが照らし出す塵,リンクの氷の感触,パックが氷を滑る音…といった外部に感覚
を向けることができていた。

ありのままの自分を認めてあげることができたから,外部(この世界)に目線を向けることができた。そしてその外部の面白さ(身体感覚の新鮮さ)に気づき,試合を楽しむことができたのだ。

この点,以前『ソウルフルワールド』の感想で書いた,
この部分とすごく共通しているメッセージだったと思う。

目的のために直結するものだけで日々を満たして、他を全て排除している人って、あんま魅力的じゃないし実は効率悪いよと伝えている。
でも今の社会じゃそうなっちゃうよね。

肉体のないソウルたちには感じられない、木漏れ日のきらめきやピザの香り、ケーキの食感、路上の歌声、地下鉄の風、歩く地面の感触などに目を向けてみると、同じことの繰り返しに感じられる毎日がこんなにも変わってくるよ、と。

多くの人にとっても,自分のアイデンティティと行動が乖離していることが辛くなる瞬間はあると思う。
「この人と話す時の自分は好きなのに,
この人と話すときはどうして性格が変わってしまうのだろう」,とか。
「プライベートでは明るいのに,
仕事となると暗い自分が出てきてしまう」,とか。
「友達とはいい人として接することができるのに,
家族には嫌な人になってしまう」,とか。

そんな人たちに対して,
いろんな自分がいることは当たり前だよ。
むしろ,それがあなたらしさ。
全て肯定して,愛してあげよう。

そうすれば,自分だけでなく,
周りを見渡すことができて,この世界の素晴らしさ,美しさに気付ける機会が増えるかもよ。
と教えてくれる映画でした。

周りを見られるのは,自分に余裕があるときだけだよね。
未視聴の方は是非!





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