秋は夕暮れ
銀杏を踏んだ、
お気に入りの革靴で。
日傘で作った自分専用の日陰の中で肩を落とす。
このまま影に吸い込まれて地面に沈んでしまうのではと思うような落胆。
秋はもう少し穏やかに訪れてくれると思っていた。
ここまで残酷な訪れ方は想定していなかった。
長いあいだ湿り気のあった空気が少しずつ澄んできた。
帰路、隣家の排気口から漂う秋刀魚の香りが"食欲の秋"たる由縁を感じさせる。
いつのまにか傾いている太陽。
「秋は夕暮れ」
夜、優しくなった風が虫の声を運ぶ。
素晴らしい季節だ。
スズムシ、コオロギ、キリギリス、マツムシ。
それぞれがなんとも良い声をしている。
昼、歓喜して飛び回るトンボ。
公衆の面前でなんと大胆な交尾。
何を見せられているんだ。
かぼちゃサラダは玉葱で決まると言っても過言ではない。
薄切りにした玉葱を5分ほど甘酢に漬けてから熱々のかぼちゃで少しだけ熱を加えたものが良い。
少しのカレー粉を加えると尚良い。
何故か鳥とめっきり出会わなくなった。
おびただしいほどのハトを切り分けるように歩いた記憶が新しいのだが。
カリなど風情のある鳥が羽ばたいてくれればそれはそれで良いのだが、そういう訳ではなく、何故だか鳥を見かけなくなった。
道を埋め尽くす白いフンだけが遺されている。
汚い。
近所に猫がたくさんいる。
各々うまく人を虜にしているらしく、適度に肉がついている。
羨ましいほどの中肉中背。
お近づきになりたくて、まずは距離をとって目線を合わせてみる。
"決して警戒はしていないよ"というような涼しげな表情で、それでいて耳だけは少し廻してこちらを観察している。
この距離感が今の僕と猫の距離感。
「程よい距離」と言うには少し離れ過ぎているくらいの距離感。
いくつかのハンバーガーチェーンの月見バーガーを食べ回った。
今年の優勝はケンタッキーフライドチキン。
月を見ながらハンバーガーを食べたことがないという事実に愕然とする。
そもそも、テイクアウトしてから月の見える場所に向かっていたら冷めてしまう。
ハンバーガーやポテトは全ての食べ物の中で最も早く冷める気がする。
そして、冷めると魅力が大幅に落ちる。
ハンバーガーは月見に全く向いていない。
月見バーガーの存在に疑義が生じた。
日埜直彦の「日本近現代建築の歴史」と谷川嘉浩の「スマホ時代の哲学」を読み終え、今は太宰の「人間失格」とヘーゲルについての一般書を並行して読んでいる。
机には藤森照信の「路上建築学入門」、グリム童話の「ブレーメンの音楽隊」などが軒を連ねて積まれている。
今年は映画を観るようになった。
直近では「君たちはどう生きるか」、「水は海に向かって流れる」、「ダヴィンチ・コード」、「9人の翻訳家-呪われたベストセラー」、「ラーゲリより愛を込めて」などを観た。
太宰の文章力に平伏すなどしている。
目を瞑れば瞼の裏に浮かぶのは緑を落とし始めた田んぼの景色。
ランドセルを背負って駆け抜けた田んぼ道。
踏み外してぬかるみにハマって抜けられなくなった日を思い出す。
あれはシンプルな恐怖。
田んぼのカエルは鳴きすぎ。
理性や倫理が身につく前に、覚悟だけが育ってしまった少年を観た。
見かけ上は立派だけど、ハリボテの正義はべっこう飴のようだ。
その背筋はピンと伸びているのか。
それともピンと張り詰めている、と表現するのが正しいのか。
彼はきっと加速する。
見つめることしかできない自分、当たって砕けるしかない彼の明日。
砕かれた彼の行く末は?
舌足らずなこの文章は、行方を失っている。
何を言いたいわけでもなく、秋に感化されて書き出した。
秋は何故だか切ない。
赤みを帯びた外気と少しばかりの感傷に浸る夜。
浅はかなままで街に身を委ねていく。