しのごの。
銀杏を踏んだ、 お気に入りの革靴で。 日傘で作った自分専用の日陰の中で肩を落とす。 このまま影に吸い込まれて地面に沈んでしまうのではと思うような落胆。 秋はもう少し穏やかに訪れてくれると思っていた。 ここまで残酷な訪れ方は想定していなかった。 長いあいだ湿り気のあった空気が少しずつ澄んできた。 帰路、隣家の排気口から漂う秋刀魚の香りが"食欲の秋"たる由縁を感じさせる。 いつのまにか傾いている太陽。 「秋は夕暮れ」 夜、優しくなった風が虫の声を運ぶ。 素晴らしい季節だ
鉄板に乗って提供されるハンバーグには、いつも付け合わせがついている。 時にはフライドポテト、時にはコーン。 そしてにんじん。 ただ焼いただけのにんじんは、ハンバーグのソースととてもよく合う。 濃い味付けが多いハンバーグとは違い、淡白な味なのでバランスが取れている。 しかも、野菜を食べているという事実が罪悪感を和らげる。 栄養価の割合を考えたら到底、ハンバーグとライスによってもたらされるカロリーを緩和できるような類のものではないが、それでもないのとあるのでは全く話が違う
突然だけど、「止まない雨はない」ってポジショントークすぎない? 雨が上がった人か雨上がりを夢見ている人しかこのセリフ言わないし、このセリフを深みを持って言っている人を見たことがない。 せいぜい水溜まりくらいの深さ。 雨が上がったポジションからこれを言う人はとりわけ浅い。 登った太陽に水溜りが渇かされてしまったんだと思う。 雨なんてそうそう止まない。 きっとたくさんの「止まない雨」を浴び続けている人達がいる。 そんな簡単に止まれても、晴れた時のありがたみが小さい。 雨が上
少し前の話。 エイプリルフールという世界規模の嘘の祭典があった。 これだけ世界規模なのに、これだけお祭りにならない事象も珍しいと思う。 ほとんどの人が信仰していないし、みんな教義も知らないであろうゾロアスター教の謝肉祭(=ハロウィン)との差がすごい。 ( ハロウィンやクリスマスは資本主義的な意味づけがされているから、ティピカルな意味での祝祭ではないとツッコミを入れたくなっている君、その指摘はダサいぞ。本質はそこじゃない。そう、君だよ。そこの君。) なぜ今更エイプリルフ
「多様性」 辞書を引くと、 いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。「生物の―を保つ」 とある。 最近は随分とこのワードを聞くようになった。 初めてダイバーシティという言葉を知ったのは高校生だったと思う。7.8年前かな。 その時と今では、その言葉が意味するところが変わってきている気がする。 なんだか漠然とそんなことを思ったので、日記程度に少しだけ。 多くの生物は、その多様性が豊かであればある程生存のリスク分散が可能になり、長い年月の中で種が経験する
やっと厄介な相手との戦いが終わろうとしている。 長かった。 例年通り、今年もノコノコと姿を表して僕を苦しめるだけ苦しめて、役目を終えたかのように帰っていくあいつだ。 「夏」だ。 僕は夏が嫌いだ。 春も秋も冬も、それなりに好いている。 春は夜明けの青みがかった空気と桜のピンクが清々しい。 秋は夕暮れ、紅葉は燃えるような夕焼けに照らされて踊るし、そこに鈴虫の音や鳥の囀りが加わればそこはたちまち桃源郷だ。 冬は早朝、雪が降れば綺麗なのは言うまでもないけれど、散歩にでも出掛