ステキに年齢を重ねませんか?
アクティブエイジングトレーナーの阪井ますみです。
アクティブエイジングとは、年々体が若くなり、いろいろな事に挑戦が出来るようになる生き方のことを言います。
私はその「年齢に負けない体作り」をお届けする専門家です。
この仕事に就く前は老人ホームで10年間介護の仕事をしていました。 そんな中で介護状態になられた時のご本人の辛さ、周りのご家族の辛さや大変さを目の当たりにし、自分の足で歩くこと、認知症を予防することがとても大切であると感じるようになりました。
というのも、自分の足で歩けたとしても認知症になってしまわれると自分からトイレに行くことが出来なくなる方が多くいらっしゃり、人の手を借りないといけない。ただ羞恥心は残っていらっしゃるのでとても抵抗されます。 怪我や病気で寝たきりになられた方もそうです。オムツを外されないよう強く握って抵抗されます。
今まで80年、90年必死で生きてきたのにどうして人生の最期にこんな目にあわないといけないの?とても屈辱的な思いをされます。当然の抵抗です。
これがご家族だったらどうでしょう。家族は一日24時間365日休みなくお世話が続くわけです。心身ともに疲れてしまい、最近では介護離職という言葉も聞かれるようになりました。
介護される側は羞恥心に耐え、介護する側は気力も体力も奪われてしまいます。 なので私達は体が動く今、運動によってそれを予防していく必要があるんです。
かつて私自身酷い腰痛に悩まされ、朝は背中にまで痛みが走り起き上がることも困難な時期がありました。病院では腰椎分離症と診断され「年齢的にもう治りません」と言われました。
ただ運動によって痛みは軽減されると言うことだったのでプロのトレーナーさんのところに飛び込みトレーニングを続けたことで3か月後には痛みは全く無くなっていました。それが56才の時です。
その後も運動の習慣が身につき体もどんどん元気になって自信もついてきました。
認知症予防についても、指先を動かしたり計算問題をしたり、それももちろん効果はありますが運動をすることが何よりも脳に刺激を与えることが分かっています。
4年前ベッドから起き上がることも困難だった私が今、還暦を迎え10kmの障害物レース(スパルタンレース)を完走するまでになり、心も体も「元気」を掴み取ることが出来ています。
運動をしないことで筋力は確実に衰えていきます。
逆に運動の習慣を身につけることで体質も改善し年齢を重ねるほど若返る事ができます。
運動はいくつから始めても遅くはありません。
私もその年代の一人として経験し証明してきたからこそ、最大の贅沢である「健康」をこれからも皆さんに持ち続けていただきたい、取り戻していただきたいと考えるのです。
今、運動を始めるかどうかで今後、老化の一途をたどるのか?アクティブエイジング、見る見る若返って楽しい人生を送れるのかが変わってきます。
人生100年時代、最期まで元気で美しく幸せだったと思える人生への体作りを私にお手伝いさせてください。
今回はそんな私のストーリーをお話しさせてください。
私の幼少期
1963年1月9日、大雪の日に大阪府東大阪市で生まれました。
幼少期はあまり体は強い方ではなく、よく扁桃腺を腫らしては高熱を出して毎月一度は一週間ほど幼稚園も学校も休んでいて、かかりつけ医からは「こんな空気の悪いところにいてたらこの子は健康になれない」と言われたそうです。
当時都会では夏になると光化学スモッグが発生していて、今と違って本当に空気が汚れていたんだと思います。
そして両親は3つ下の弟と家族4人で空気のきれいなお隣の奈良へ引っ越しをしてくれました。そのおかげで毎月休んでいた学校も全く休む事がなくなるほど健康になりました。
体育会系女子のきっかけとなった中高時代
中学は中高一貫校に行かせてもらい、そこで入部したのがソフトボール部でした。
新しくできた友達に誘われて入部したのですが、とんでもなく練習がキツく、誘った友達は1学期にはやめてしまい、しかし私の母は根っからの体育会系だったので練習を休むことすら許してもらえず(笑)おかげで練習にも徐々についていけるようになり、中3の頃には県内では無敵。
高校ではインターハイにも出場することができました。
厳しい練習を続けることで必ず結果がついてくる!
この中高時代が私のスポーツ大好きっ子の原点になっています。
短大に入学してからは別のスポーツをやってみたくてスイミングスクールに通い、バタフライまで泳げるようになったので、そのままインストラクターとして子どもたちに水泳を教えていました。
水が怖くてプールの中に入れなかった子どもがお顔つけが出来るようになり、一週間後には浮袋無しで5mを泳げるようにる。子どもたちって凄い能力を隠しもっているんだなあと感心したものでした。
短大卒業後は大手電機メーカーに就職し、程なく父が独立をして起業することとなり私が経理を担当することになりました。
苦悩の結婚生活
そして23才の時にサラリーマンだった男性と結婚。
弟は最初から会社を継ぐ気はなく、バブル真っ只中だった時代、夫は会社を辞め後継者として入社することになりました。
これが私の暗黒期の始まりでした。
バブルは間もなく崩壊し、夫に約束されていたお給料も出せなくなり
「約束が違う」と怒り出す。
誰もバブルが崩壊するなど予想もしなかったので仕方のない事だったのに
そこから私達の夫婦仲は少しずつ悪い方へと傾き出しました。
夫が役員として社内にいる以上離婚することも出来ず、10年以上我慢することとなりました。
そして経営も益々厳しい状況になり、父の方から廃業を告げられました。
そうなると当然私達夫婦の収入はゼロになります。
両親はそれをとても心配し申し訳なく思ってくれましたが、家族みんなが健康だから乗り越えられる!と私自身は全く不安はありませんでした。
それよりもようやく離婚出来る。スッキリ出来ると逆に喜びでした。
その後は生命保険の営業、ファミレスの店員、スーパーのサービスカウンター、そして老人ホームへの就職。
娘たちが三人ともまだ学生だったので内緒でダブルワークをしながらなんとか生活していました。
娘たちの頑張りが母である私の活力となりました
そんな中娘たちは本当に学業を頑張っていて、二人は国公立大学へ進学、ひとりは小さい頃からの夢だった看護師になりました。
娘たちの頑張りを毎日見ていたので母である私も物凄くパワーをもらっていました。
長女、二女が社会人になる頃には老人ホームで正社員となり、国家資格も取得し、介護予防も勉強してその仕事一本で生活が出来るようになりました。
社内は人間関係も良好でとても働きやすい職場でしたが仕事上、中腰での姿勢が多く腰を痛めてしまい、とうとう朝起きれない程の痛みに襲われ腰椎分離症との診断。
その後の人生を変える事となるトレーナーさんとの出会い
既に50才を過ぎ、年齢的にもう治らないと言われましたがプロのトレーナーさんの元、トレーニングを続けることで3ヶ月で痛みは全く無くなっていました。
そして知らないうちに体重も体脂肪率も落ちていて、正しい知識と正しいやり方で運動を続ける事により、いくつになっても体を変えることが出来ると実感した瞬間でした。
このトレーナーさんとの出会いで、3ヶ月の体験が私に「ジムで暮したい(笑)」と思わせるくらいのトレーニング好きにしてしまい、自分でもトレーナーが出来るくらいの知識がほしくなり59才でパーソナルトレーナーの資格も取得することとなりました。
60歳からの挑戦!
今還暦となり還暦イベント!と称していろんな事にチャレンジしています。
第一弾としてベンチプレス大会出場
第二弾は関西初上陸となったスパルタンレース大阪にエントリー
スパルタンレースとは世界一過酷なレースと称され
走る、跳ぶ、持ち上げる、押す、引く等、障害物に人間の動きの全てが取り込まれているという世界中で開催されているレースです。
この時の達成感が忘れられず、半年後に
第三弾で千葉でのレースにもエントリーしました。
今
思うと学生時代、ソフト部の練習が鬼きつい!と思っていたのに、その何倍も過酷なのがスパルタンレース。
言い過ぎかもしれませんが私は10代の頃より身体能力が上がっている気がしています。
そうなんです。
運動は本当にいくつから始めても遅くはないんです。
この私が証拠です。
そして年齢と比例して訪れると思われている老化。
実は年齢とともに活動量が減るので老化が始まります。
老化は活動量と比例するのです。
運動しないことで確実に衰える筋力。
運動、栄養、休息の生活習慣を見直していつまでも若々しく、年齢を重ねることが楽しくなる人生を一緒に送りませんか?
そんなアクティブな体作りを是非私にお手伝いさせてください.
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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