主体的な生き方を手に入れるために/教育現場の今とこれからを真剣に考えよう/考え続けよう
子どもたちの教育においては今、脱工業社会に向けて、文科省がその方向性をはっきりと打ち出してきているところです。
すでに企業のあり方や、終身雇用や年功序列は、大きく崩れています。
私たちの働き方は、今、大きく変化を遂げようとしています。
もちろん、働き方のみならず、人生設計自体のあり方を見直すべき時にきています。
昨年は小学、今年は中学と、教科書も変わりましたし、何より、指導要領が変わりました。
従来の講義型、集団一斉スタイルの授業を現場(学校)に辞めさせよう、というのは、もうずいぶん前から文科省が取り組んできたことですし、このことからも、単なる詰め込み型の学習や受け身に偏る学習のスタイルを改めようという動きは、加速していきます。
一方、義務教育の現場の主たる権限は、各市町村と教育委員会に委ねられています。国が大きな方針を定めながらも、現場の権限は、教育委員会、さらには各学校の校長にある、というのが、今のスタイルです。(さらに変則的なのは、なぜか人事権は県が握っているというところでしょう)
現場に委ねられる責務は重い。
国求める、主体的な学びや、受験系の詰め込み学習、テストの点数や内申点を追うだけにならない、そういう本質的な学びを、果たして、今の教育現場が実行しうるのか、というのは大きな課題となりうるでしょう。
なぜなら、
私たちが思う以上に、現場は、「時代に取り残されている」からです。
詳細は避けますが、国(ここでは文科省)のエリートたちが知恵を絞って思考する、そこで出てきた方針は、相当に抽象度の高いものです。見るところ、やはりよく練られているし、何より、視点が高い。
現在とこれからの社会を大きく包摂しながら、出てきた方向性、それが、文科省サイドから出させる方針です。
そしてそれが指導要領に記載されているわけです。
一方で、現場は、おのず抽象度が下がります。
これは目の前に自分の生徒がいる、という経験をお持ちの方ならお分かりでしょう。
今この瞬間に、目の前で、様々な問題や不具合が起こる。そしてそこには、子の、親の、先生の、感情が多く含まれている。
だから、必然、抽象度は下がる。俯瞰できなくなりますし、短期的、短絡的な思考に陥りやすいのです。
人間だもの。
無論、それでもなお、現場の教師は、教育者であり専門家であるわけですから、高い視点、鳥瞰的視座、を持っておく必要があるのは当然の責務です。
閑話休題。
そして今、現場で何が起こっているか、もしくは、ここまで何が起こってきたのか、をしっかり見つめる必要があります。
(なおここでの記述は、地域差があることを先に断っておきます/地域の文化度、教育熱に大きく左右されますので/全国、または学校で、一様ではありません)
ここでは、教育熱の低いことが一定のデータとエビデンスから明らかである、僕のいるエリア、県について、述べます。
まず問題となるのは、旧来の価値観が地域全体を覆っていること。
それは、社会(ここでは地域社会)全体を覆うものであり、学校とそこで働く教員もその影響を受けています。民間企業の仕組み、組織のありようも、やはり遅れたまま。
そこにあるのは、古い学校観、かつての子ども像、そして、昭和から続く先生像、です。
具体的に、いくらか箇条書きにします。
・管理、統制、指示、命令、強制型の指導が多い
・課題・宿題漬けになる公立学校(小中高いずれも)が多い
・学習面以外でも管理、統制、指示、命令、強制型の指導が多い
・選抜制度(主に高校入試/中学入試はレアな地域)は内申点の比重が高い(入試一発勝負になる学校はほぼない)
・入試制度はオープンではなく、内申点も明確な基準は示されないため、密室型の入試であると言える
・主体的、という言葉からは大きくかけ離れ、最終的に評価の目が隅々に行き届いている
・知識の多様なつながり、深い教養、知性の広がりを感じさせる活動は皆無で、そのように見えるものも指示命令管理統制、その元での評価、の中で、行われている
以上。
簡単に書きました。
(多くは、随時の記事や動画で述べてきていますので、それらをたくさん見てください)
勘の鋭い方はもうお分かりのとおり、この傾向がどんどん強まると、結果として、思考停止の子たちがたくさん輩出されていくことになります。
(現状、すでにそうなっていることも周囲を見渡せばお分かりでしょう)
一偏った学校の方針、一教師の私的指針、に左右されるというおまけ付きです。
無思考で育った子たちは、社会に出ても、従属的な生き方を余儀なくされていくでしょう。
さて、我々はどこへ向かうべきなのでしょうか。
まずは現状をしっかり見つめるところからのスタートです。
教育分野は、海外と比較しても、データが貧弱(これまで実はあまりデータをとってきてない国なのです)で、かつエビデンスは軽視されがちですから、この点も注意が必要です。
現場レベルの問題は、文科省の方針が、伝言ゲームのように降りてくることで、(また、実際には直轄ではない仕組みから)、歪曲されているのではないか、という懸念もあります。
公教育は法律のもと、しっかりとそれに則って行われるべきであることも忘れてはならないでしょう。
私たちに何ができるのか、何をすべきなのか。
地域の子育て世代の皆さんがまずすべきは、「考え続けること」をやめない、ことです。
リアルで今、我が子が学校教育を受けている、という方は、現状を最も近くで見ることができるわけですから、そんな皆さんには、「考え続けて」欲しいと思っています。
なぜ、これをお伝えするのか、というと、「考えること」は、最もヒトが労力を要する行為だから。
面倒なんで、誰かに任せとけばいいか、となりやすいのです。
面倒くさいと思っていない人でも、エネルギーを使うことは避けてしまいがちなのです。
それだけではありません。
親であるあなたが考えることをやめれば、それが子どもたちの見本になってしまう。
思考を止めること、それはすなわち、依存すること、を意味します。
管理統制指示命令強制に陥りやすい現場にいる子どもたちも、簡単に、「依存」に流れやすい。
子どもたちだって、「これはおかしい」と思っても、考えることはストレスになりますから、思考はすぐに止めてしまいやすい。
だから、「まずは、大人が」なのです。
考えることをやめないこと。
まずはここから。
それをお伝えして、この記事を終えることとします。
☆ご興味のある方は、「note」記事、「Youtube」動画、に、多くの内容がありますので、ご覧ください。たくさんあるので気が向くものからで、結構です。一緒に考え続けましょう。
挫けそうになったら、またここに戻ってきてください。いつも考え続けている僕が、いますから。
(おわり)