現代に必要な「引き算」の子育て
足し算ではなく、引き算を。
この時代だからこそ。
社会はこの先も管理・監視社会の色を強め、ホワイト化していきます。
子どもたちはかつてのように、野原を駆け回って遊ぶ、ということができなくなりました。
より自然に近い存在だった子どもたちが、今や、自然から切り離されて生きている。
オンラインに臨場感が高い現代の子どもたちは、小さい頃から、すでに、身体性を失いつつあるのですね。
学校でも然り。
机に縛られ、教科書に縛られ、テストに縛られ、成績や偏差値に縛られて日々を送ることが増えてしまいました。やることなすこと、全て管理されてしまっている。大量の宿題や課題はその象徴とも言えるでしょう。
この状況で、まだ、大人は、どこまでも、子どもたちに「足し算」の発想で、何かを「やらそう」としてしまう。
習い事に、追加の塾、追加のテスト、と、どこまでも足し算の発想をしてしまいがちです。
やらせればやらすほど、比例関数的に、学べるとなぜか勘違いしてしまう人が多いからなのでしょう。
残念ながら、私たちの学びと成長は、そのように単調な右上がりの直線にはなっていないのです。
むしろ、現実として、足し算をすればするほど、子どもたちは、「できなくなっている」「頭が悪くなっている」のです。
残念ながら。
こんな時代だからこそ、引き算の思考が大事なのです。
余地余白、自由な時間、暇な時間、ぼーっとする時間。
こうした時間を生み出すには、引き算が必要なのです。
合わせて、自然の中で、確かな身体性を感じる時間も、同様に、重要なものとなるでしょう。
その場に軸を持ちしっかりと垂直に立っているという揺るぎない実感。そこには、身体性が欠かせません。
自然の中で、思い通りにいかない経験や未規定のものに対処する経験こそが必要なのです。
失われつつある身体性、何かがあれば代替可能で簡単に揺らぐ実存。
足し算をしようとすればするほど、それらを止められなくなる。
私たち大人も、もちろん子どもたちも、どんどん透明で透けた存在になりつつある。
どこに立っていて、自分が誰なのか、がわからなくなりつつある。
こんな時代だからこそ、引き算の発想を。
(おわり)