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こころとからだと四角い水槽の中の金魚

(引用はじめ)
透明な四角い水槽の中に金行が一匹泳いでいるとします。それを正面からと、真横からと、二枚の写真を撮り、その二枚を並べると、ある種の相関関係が成立していることが分かります。それぞれは独立した存在を表しているのではなく、ある活動している何か(金魚)の側面をそれぞれ写し出しています。

この活動する何かは、二次元の二枚の写真内容よりも「高次元の存在」です。そしてこの二枚をそれぞれ高次元の存在の一ファクターとして考えてみるのです。「ここで心と身体がファクターであるというのは、心と身体の基盤となっているものとしてのより高次な実在があることを意味し、その高次の実在は、心と身体の両者を超える性質のもの」だからです。そして「この高次の実在の次元において、心身は究極的に一如である」といえるでしょう。
(藤見幸夫、痛みと身体の心理学)

藤見幸夫さんは、心と身体に対し、その両者を結び付ける「第三の存在」を、ユング派では「魂」と呼んでいると書いています。ここで、河合隼雄さんが、心の底の奥深く、心とも体とも区別の付かない領域を「たましい」と呼んだことが思い起こされます。河合さんが「魂」と書かなかったのは、大日本帝国軍が利用した「大和魂」という言葉を想起させたくなかったからでしょう。

たましいという捉え方は共時的な捉え方で、脳が意識を生成させるという因果的な捉え方とはことなったものですね。

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