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迷子が楽しむ道草は。

「人生は帳尻が合うようにできている」
という言葉がなんとなく頭の中にあるのは、おそらく祖母、母の順に言い伝えられたからだ。

悲しい出来事の後は、きっと嬉しい出来事が。
嬉しい出来事が続くと、何か良くないことが起こるのでは。

…なんて、あまり意味のないことを時々考えつつ、淡々と日々を送る。
でも時に、凪のような落ち着いた状態でさえ、なんとなく地に足がついていないような不安を感じる時がある。


迷子が道草に。


昨日は音楽教室が開校できそうな物件をひとつ、見に行った。

場所や内観、金額や設備など
全体的に考えると、一長一短ある。という印象だった。


…その帰り道。
ナビを入れ間違えたらしく、
大人1人、数分間、迷子になる。

ナビに導かれ、よく知らない街の見たこともないような細い路地や、新しくできたスーパーなどに囲まれ、心細かった。
立ち止まってナビを入れ直すも、現在地が新しい道らしく、建物や道が地図に出てこなかったり。
動揺したけれど、幸い、すぐに目印の道路が出てきてホッとした。

道がわかった途端に
「こんな道があったんだ!」とか
「新しいお店ができてる!」と、知らない道を楽しむ余裕すら生まれてくる。

…不思議だ。
さっきまであんなに心細かったのに。

私の場合、道草を楽しめるのは
時間と心に余裕がある時に限るのかもしれない。

でも
「迷子」が「道草」に変わったような、嬉しい瞬間だった。


500円の引き落とし


何に使ったか思い出せない、500円の引き落とし。
…迷子になった時の心細さが蘇る。

カードが不正利用されているのでは、という不安から
カード会社に電話をしようとした一歩手前。

24時間テレビの、やす子さんのチャリティーマラソン募金への500円だとわかり、一安心。

貯金箱に入れて寄付するのではなく、ネットで寄付するのは初めてだったので、すっかり忘れていたのだった。
500円なんて中途半端な寄付をするからこうなるんだ。

…でも、やっぱりデジタルじゃなくて、アナログが好きだ。と改めて思う。
実際に目にしていない500円は
以前、手に持ち、重さを感じたたくさんの5円や10円よりも断然、不確かなもののように感じる。


凪の心


凪のように
穏やかで、荒波の立っていない、静かな心。

それでも
嵐の前の静けさのような、不安を感じることがある。

感情は「無」に近いようで
実際に文字に書き起こしてみると、意外と色々考えたり、感じたりしているものだなあ、と思う。


良い時も、良くない時も、どちらでもない時でさえも
たゆたう心。

押し寄せて、引いて、振り回されて。

そんな心の一挙手一投足に気を配るなんて
正直「ふう。」とため息が出てしまう。

それでも無視できないから
「心がある」とか「生きている」ってそれだけで、結構面倒だと思うけれど


その分


「迷子」が「道草」に変わった昨日の瞬間のように

“不安”が“安心”に変わり
“心細さ”がなくなって、“余裕”が生まれた時には
「迷子」が「大冒険」に変わるような、素敵な出来事も起こるのかもしれない。

きっと人生は、それが楽しいんだ。
それを楽しむのが、人生なんだ。


そんなことを考えながら
自宅でカフェオレを少しこぼし、またちょっとしぼむ心を抱え
次の楽しい出来事を迎える準備をしている。

そんな11月の始まり。


2024.11.1

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