旅から帰ると見慣れた場所が違って見えることもあるよね、という話
壊れかけのMacBookを整理していたら、以前書いた文章が次々とでてきて、今読むとすごく恥ずかしい…
2018年にフリーランスになって、海外の好きなところを放浪できるようになった自分はすごく解放感に包まれていました。そんなサラリーマンから羽化して数年の当時の心境が、ちょっと自意識過剰な文章で書いてあったのですが、今読み返すと「あぁ、当時ってこんな気持ちだったんだなぁ」としみじみ思うところもあったので、推敲もせずそのまま掲載しようと思います。
週末の午後のお暇つぶしにどうぞ。
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旅にでると、帰ってきた場所がちがって見える
人に優しくなれる。人の優しさに気づける。
3ヶ月ぶりの日本で、朝のコーヒーの時間に穏やかな世界を感じる出来事があった。
この夏も3ヶ月、欧州に滞在した。
スウェーデンのウプサラにふらっと行ってみたり、ベルリンのカフェでフリーランス生活を満喫したり。
最後はアムステルダムでワードローブを一新したりもしたのだけれど、これは長くなるのでまた別に。
夜の便でヨーロッパとお別れを告げ、日本に着いたのは翌日の朝だった。
9月初旬も終わろうというのに、予想以上に暑い。
空気が湿気を帯びて、体にまとわりつくのを感じる。
あぁ、日本の夏はまだ終わってなかった
欧州では8月終わりから朝夕は涼しくなり、9月に入れば上着が必要なくらいだった。
ジメッとした夏を感じるのは久しぶりで、もうすこしだけ向こうにいても良かったかもしれない。
湿気のせいか朝の通勤ラッシュに当たってしまったせいか。なんとなく重く感じる体を引っ張って、拠点にしている部屋に帰る。
帰宅してすぐに寝てしまったので、翌朝4時に目が覚める。
久しぶりの部屋がしっくりこなくて、早々に模様替えをする。欧州で利用したウィークリーアパートやAirBnBが落ち着くデザインばかりだったせいもある。
無駄のないデザインに影響されて、以前に感じていた心地よさが自分の中で全く違うものになってしまったのを感じた。
8時になり、福岡に帰ったらまず行きたいと思っていた焙煎場を併設しているロースタリーカフェに行ってみた。
外にでると通勤時間帯のはずなのに、人がいない。
犬の散歩をしているおじさんを見かけてようやく、今日が土曜日だと気づいた。
以前は、土日の朝に出かけるなんて考えられなかった。
根が引きこもりな性分なので、昼まで惰眠をむさぼるのが常だった。
欧州ではどの都市にも素敵なカフェがたくさんあったので、どうやらフットワークが軽くなっているようだと感じた。
土曜日の朝。もしかしたら空いていないかもしれない。その時は近場のスタバに行こう。
そんなことを考えながらお店に向かうと、そこは予想に反して賑わっていた。
店内にいるのは数人のお客さんのみだが、休日出勤前にコーヒーをテイクアウトしていく若い人たちを筆頭に、老若男女がひっきりなしに訪れている。
こじんまりとした路地の一角にあるコーヒーロースタリーだが、何度も雑誌で取り上げられている。
コーヒー専門特集には必ず名前が載るというほどの有名店なのだ。
評判に違わずおいしいコーヒーが飲めるが、そのお値段も安くはない。一杯500円。マクドナルドでハンバーガーセットが買えてしまう。
注文を受けてから挿れるため、すぐにでてくるわけでもない。それでも休日(何人かは出勤前)に、丁寧に丁寧に淹れられたコーヒーを楽しむ人たちがいる。
なんて充実した朝の過ごし方だろう。
朝の空気感もあってか、なんだか世界が穏やかにみえた。日本は、こんな風に穏やかな生活を楽しむことができる国だったのか。
そこで以前の自分が、日本ではすこしのミスも許さないような空気感ばかり感じていたと気づく。
すこし遅れただけで謝る電車のアナウンス。
もたつくレジに苛立つ人々。余裕のない人々の表情。
しかし、私が気づかなかっただけだったのかもしれない。すこし見る景色を変えれば、ゆっくりと淹れられる珈琲を待つ穏やかな人々の時間がある。
お互いに「ありがとう」の言葉をかけ合う優しいひと時がある。
例えばストックホルムで、朝のカフェを楽しむように。
例えばベルリンの休日に、公園で日差しと団欒を満喫する人たちのように。
日本にもこんな素敵なライフスタイルをおくる人たちは当たり前にいるんだなと。穏やかな世界は、意外と身近に溢れていたことに気づいた。
旅の醍醐味は新しい景色を探すことではなく、見慣れた景色の中にある、新しい景色を見せてくれることかもしれない。
2019.9.14 珈琲を飲みながら書いたメモより
Twitterやってます(@mug_i11)
数ヶ月ずつ滞在して「どの国に住みたいか」を考える自由研究をしているフリーランスの考察・感想です。このnoteは移住計画の頭の中を綴っています。よろしくお願いします。